誰が独裁してるかが見えない独裁

「改憲反対」「平和憲法維持」のために安倍政権批判をする人たちが、
よく安倍首相をヒトラーになぞらえて、ちょび髭を描き込んだ似顔絵を
作って、ネット上にばらまいていたりするんだけど。
そういうイラストをぼんやりと眺めながら、そりゃ、政治としては非常に
困った独裁状態だと思うんだけど、
『新自由主義』というもの全体をよくよく眺めたら、
本当の独裁者は、もう政治家より、1%の超富裕層だよと言ったほうが
いいんじゃないかと思えてきた。
こう言ってしまうと、疲弊している人は、ますます「上を見ても仕方ない」
の心理に入ってしまうかもしれないけど・・・。

「会社は株主のもの」になってしまったところから、
肥え太り続けるスーパー投資家や、グローバル企業のタガがはずれて、
政治家はそこにどんどん飲み込まれていって、
「国家は富裕層のもの、グローバル企業のもの」になりつつあるぞ、と。
株式会社アメリカ、株式会社EU、株式会社日本になってるぞ、と。

この形が出来上がっていくと、すごく危ないのが、中東や北朝鮮などの
独裁国家のように、「この人が独裁者!」というわかりやすいアイコンが
なくなるところではないか。


「あのグローバル企業が、あの投資家が動かす会社が、ひたすら私腹を
肥え太らせて租税回避し、おかげで貧困層がどんどん増えてるんだぞ!」


と言ったところで、そういった企業の提供するサービスを、大勢の人が


「…へ? 日常的に利用してますけど? なくなると困るんだよなあ」
 

という状態になってしまうわけだし。
ひとり政治家を引きずり下ろしたところで、どんどん似たようなのが出て
くるだけで、たどるのは劣化の一途だし。

こんな社会の形はおかしいじゃないかと指摘し、反対票を投じる段階へ
向かうには、学問や国語の力を通して、思想を蓄えたり正常な思考力を
保つことが必要になると思うけれども、
新自由主義のもとでは、「効率が悪い、金にならない」ものは淘汰されて
いくことになるから、その学問の機会もいつの間にか失われてゆき、
持つべき正常な反骨精神も同時に失われて、
あとには、独裁者=超富裕層に都合のよい家畜羊と化した烏合の衆

右往左往したり崖から飛び降りたりしているだけ・・・。

家畜羊に堕さないようにいるには、

「あー、もうなにも考えたくない」
「あー、もう目先のスマホの画面だけ指でつついていたい」
「あー、もう快楽だけに生きて、どんづまりになったら死ぬしかない」


という、投げやりで堕落した終わりのない快楽への欲望に飲み込まれ
ないようにしてなきゃならないから大変かもしれないけど。
思考のたのしさ、発見の快感って、そういう投げやりな快楽を凌駕する
すがすがしさがあるもんね。
それを伝えるための活動をしていくしかないよね。
そういう、すがすがしい快感が伝わるような文章が書けるように、

もっと腕を磨こっと。

新自由主義なんて、ほんと、さっさとやめたらいいと思うのになあ。

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NHKスペシャルの介護殺人特集を見た

先日の、介護殺人特集のNHKスペシャル、録画していたのを
いまやっと見た。

 

http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/kaigosatsujin/


実際に家族を殺めてしまった人々の語る言葉に愕然としてしまう。
母親を殺害した受刑中の息子は、刑務官の監視を受けながらの
取材だけに、やはりいろいろな制約があるのか、
事前に用意した作文を読み上げるような口調で証言していたけれど、
ディレクターに、どうしてあなたが介護をしなければならなかったのか、
と質問されて、ぼとぼと涙を落としながら、
「家族、だから」
と答えた。この一言はひどく重かった。

認知症の母親の介護を妻に任せていたものの、離婚されてしまい、
会社を辞め、82歳の母親の年金をたよりに11年間に渡って
介護しているという51歳男性は、
「手足をつながれて監獄にいるよう」
「自分は介護ロボットのようなもの」
「きつい、というか、もう、たまらない」

と自由のない生活を表現していた。
この男性は、殺人を犯した人達に、なんと声をかけるかと聞かれて、

刑に服さねばならないとか、いろいろあるけれども、


「まずは、『介護が終わりましたね』と言いたい」


と答えていた。
綺麗ごとなど言っていられない現実を知る人の言葉がズシンとくる。

介護に関する現状の福祉制度では、こういった問題を支援するには
到底間に合わないという問題定義もあった。


もう1、2回くらい再放送があるはずなので、未見の人は、
チェックしてみるといいですよ。

 

 

介護殺人―司法福祉の視点から

 

 

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貧困も見えづらいけど、戦争も見えづらい時代

日米地位協定に関して、日米両政府が合意文書を作成する
というのでなんなのかと思ったら、「米軍属の範囲を縮小する」と。
ばかにしてんの? 子供騙しにしても酷過ぎるよね。
こんなの評価する人いるわけ?
お年玉の入ったポチ袋を開けたら、こども銀行券が4枚入ってて、
うわーい! って喜ぶようなもんでしょ。
きょうび、子供でも「なにこれ。使えないじゃん」って舌打ちするよ。

しかし、「また子供騙しかよ」と落胆してる場合でもない。
海外でテロが起きて犠牲者が出るたび、「テロとの戦い」「各国と連携」
という言葉が連呼されるけれども、
たとえば、最近、ドイツの南西部にあるラムシュタイン米空軍基地は、
中東やアフリカへのドローン攻撃の拠点になっていることが判明した。

 


米国の作った『ドローン・オブ・ウォー』という映画のなかでは、
軍事ドローンの米軍パイロットたちは、ラスベガス近郊に暮らしていて、
朝、奥さんとキスして自宅から出勤し、基地で昼休憩をとりながら、
遠く離れた中東諸国の上空3000メートルを飛ぶドローンを操作し、
爆撃し、そして夕方になると帰宅して子供を抱きしめているという話だった。
これだけでも相当に背筋の凍る話なんだけど、
現実には、地球の曲率を考えると、米国から直接中東上空のドローンを
操作するデータを送信することは難しいそうで、
パイロットたちは、まず、ドイツのラムシュタイン基地のコンピュータに
ログインし、そのコンピュータから、ドローンにデータが送信されて、
攻撃が行われている
のだという。

殺戮の拠点は、ドイツ国内の米軍基地にあるのだ。
もしも沖縄がこんな場所に使われたらどうする?
実際に血肉が飛び散る現場にならなければ、それでよいのか?
死体が視界に入らなければ、それでよいのか?
貧困も見えづらい現代だが、戦争なんかもっと見えづらい時代なのだ。
「平和、平和、ヘイワ、ヘーワ!」と連呼し、米軍の存在を無視する人達の
怖いところは、この、『見えなければよい、心乱されなければそれでよい』
につながってしまう「世界ヘーワ」という幻想を信奉できる精神状態だ。

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汚染土を公共事業に再利用

最終処分場だ、中間貯蔵施設だと右往左往したまま、
呆然と福島県内のそこかしこに仮置きされている汚染土が、
公共事業の基礎工事に再利用される方針なのだという。

道路や鉄道の盛り土や、海岸の防砂林、防潮堤、埋め立て地
などなど、全国のあらゆる場所に汚染土を放り込んで、
上から固めるそうだけど、そんな中国みたいなこと、平気な顔で
やっていいのかなあ?

もちろん地下水は汚染されるだろうし、防砂林、防潮堤なら、
海岸が汚染されないわけないだろうし、
そもそも、そこかしこで災害が起きる国だよ。
埋め立て地に使う・・・って、地震のたびに起きる液状化現象の
映像を見れば、おいおいちょっとちょっとと思うんだけど。

環境省の人間は、埋めた汚染土が、災害で流出した場合は、
「回収するから大丈夫」と言っていた。
土砂災害、水害で流出した現場で、どうやって回収するの?
できるわけないでしょ。万が一すべて回収できたとして、
今度はそれ、どうするの?
いまの段階で処分にこれだけ困っているのに?

こんなすっとぼけた寝言をまき散らしながら、よく再稼働するよ。

こういうの、「きちがい」って言うんだよ。

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政治的公平をロックに求める日本の子羊たち

毎年7月末に開催されている新潟県苗場の「フジロックフェスティバル」、
国内外200組以上のバンドが集まる一大ロックフェスということで、
私の周りにも、毎年すごいキャンプ道具を準備して、がっちり3日間、
楽しんでくる友達が大勢いるんだけど・・・

今年はそのフジロックに、シールズのメンバーが参加することが発表
されたらしく、ネット上で批判が噴出しているらしい。
ほうほう、シールズのあの酷すぎるお子ちゃまっぷりと、「選挙行こうぜ!」
みたいな《体制派ソングっぷり》に対して、ロック魂を持つ人々からの
ブーイングが起きたのか!
・・・と思ったら、こんな書き込みばかりで、超絶びっくりした。


「体制批判、政治色の強いバンドが多すぎ。絶対行かない」

「アーティストはすぐに体制批判を持ち出す」

「音楽に政治持ち込むやつ嫌いやからフジロックも嫌いになる」

「ミュージシャンってなんで反体制思想な人達が多いんだろうな。
それがカッコいいって思ってんの、カッコ悪いから」

「音楽に政治を持ち込むと、持ち込まれたものに賛成でない側
の人々をバッサリ切ることになると思うのだ……」

「まあ音楽に政治を持ち込むのは自由だとは思うんだが、いい曲
だって感じて買った作品があってそれが反権力を歌ったソングだと
後で知ったら嫌な気持ちにはなるかな。そんな気持ちで買ったわけ
ではありません的なね」



この人たち、ロックのなにを聞いてたの???
「いい曲だと思って買ったのに、それが反権力ソングだと知ったら
嫌な気持ちになる」
って、まったく酷い。酷過ぎる。

反骨精神、反体制精神こそが、ロックの魂なんですけど。

大体、フジロックが好きな人は、ボブ・ディランを大好きだと思うけど、
じゃあ、ボブ・ディランがどういう姿勢で歌を作ってたかを知ったら、
嫌な気持ちになるってぇの?

アウトドアが大好きで、自然のなかで音楽を満喫したい人の多くは、
ボブ・マーリーのレゲエが大好きだと思うけど、
どんな思想が背景にあるかを知ったら、嫌な気持ちになるわけ?

ゴスペルもブルースも、奴隷時代の黒人たちから生まれた音楽なん

ですけど。ソウルもそこから生まれたんですけど。
黒人ラップなんかも、反体制、社会批判以外の何者でもなかったわけだけど。

音楽と格闘技が合わさったカポエラも、武術の鍛錬を禁じられていた
黒人奴隷が、武闘を舞踊に置き換えて、音楽にあわせてダンスの
ように蹴り技を訓練したところから生まれたんですけど。

サンバだって、めっちゃ陽気に聞こえるけど、ただサッカー見ながら
踊り狂うためだけの発散系サンバや、アメリカのレーベルから発売された

ノリのいい酒池肉林ソングばかりではないです。

(そもそも踊り狂うための音楽が生まれること自体、民衆の不満や、ストレスが

底にあるからだと思うけど)
ブラジルのサンバの名曲の多くは、哀愁漂う美しいメロディーのなかに、
貧困格差を嘆き悲しみ、未来の暗さを喘ぐ、反体制、現社会を憂うための
歌詞のほうが多いんです。

《14歳の時、ボロの服と、ボロの靴で
楽器屋のショーウインドーに
おでこをつけていた僕に、父は言ったんだ
「やめておけ。この国で夢は見られない」
だけど僕はいま、サンバを歌っている
こうして僕はいま、サンバを歌っている…》


そして、こういった憂いのラインのサンバが、ボサノヴァや、
ブラジリアンジャズへと繋がっていきます。


政治的公正を音楽に求める日本人の子羊っぷり。
体制派ロックを求めてしまうという酷い家畜っぷり。
だったら、「選挙行こうぜ」のシールズなんて、まったく
おあつらえ向きで、いいじゃないですか。
どーなんですか!? 大丈夫ですか!?

 

 

地下鉄のミュージシャン ニューヨークにおける音楽と政治

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子供の小遣いどころか、貯金ゼロ世帯が3割やで・・・

昼ごはん食べながら『新報道2001』、録画で見た。
でゃあ、びっくりするなあ。私が3日間かけてコンコンと

「日本国内の子供の貧困を語るときは、絶対的貧困率ではなく、
日本国内の相対的貧困率を見なければまったく意味がありませんよ。
絶対的貧困率なんか持ち出す奴は、ちゃんちゃらおかしいですよ」

って説明してたら、その端から、安倍首相が

子供の小遣いの使い道に「貯金」が急増していると問われて

「貧困と言うが、絶対的貧困と相対的貧困がある。
これは相対的貧困の話。絶対的貧困なら、貯金はできない」


なんて言ってるし。
6人に1人の子供が貧困であるということと絡めて、子供のお小遣いの
使い道「貯金」について議論されてたんだけど。

そもそも、子供の小遣いどころか、大人でも貯金ゼロの世帯が30.9%
存在するんですよ。それを格差と言わずしてなんと言うわけ?
貯金ゼロの理由のぶっちぎりトップは「賃金が減って貯蓄を崩した」=59.6%
なんですよ。これを見ても「我が政権になって、給料は上がっている!」
とドヤ顔で豪語してしまう首相って、なんじゃいな。

番組で示されていた「子供のお小遣いの使い道アンケート」は、
1位/お菓子 2位/漫画 3位/文房具 4位/貯金
この「4位/貯金」の急増をネタに、子供の貧困に話をつなげたくて
使ったのだろうけど、誰かが、
「子供が将来不安を感じて学費を貯金している」と言っていて、
思わず、はむはむしていたご飯を、ボハッと噴き飛ばしてしまった。

そりゃ、好き放題お金を使える浮かれた空気じゃないことは、
子供も感じ取っているに違いないけれど、
そもそもは、子供に小遣いが渡せるレベルの家庭でも、
将来不安のために買い控えており、少しでも貯蓄にまわさねばと
考えているから、親だって、子供に小遣いを渡しながら
「お金は大事に貯金しなさいよ」と教育しているんじゃないのかなあ?

さらに言えば、そのアンケートの出所は、大手おもちゃ会社だよ。
900人の親子にネットで2日間調査したもので、内容を見ていくと、
「親からもらうお小遣いの平均額」「祖父母からの平均額」とか、
「両親よりも祖父母のくれるお小遣いの金額のほうが大きい」とか、
「月額いくらもらっていて、どんなおもちゃ金を使っているのか」とか、
はっきり言って、目的は、商売のための市場調査なんです。
私が企業の企画者だったら、

『なるほど。それならば、金を出しやすい祖父母をターゲットに、
現在のお小遣い価格1848円よりもやや上乗せした金額で、
子供が欲しがりそうなものを買い与えたくなるCMプランを練ろう』

と考えますよ。
だってそのための資料だもん。
そのなかに、貧困問題に関わる設問なんて微塵も存在してません。

はあ・・・びっくりするなあ。

小林先生から、この3日間のブログをライジングでまとめて、

と言っていただいたので、加筆して、週明け火曜日の配信にしたい

と思います。

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日本国内の貧困率に敏感になれない人へ・・・

曽野綾子のように、地球の絶対的貧困率を取り上げて

「アフリカでは、栄養失調で十分に成長できなかったり、餓死したり、
病気でばたばた死んでいく子供ばかりなのだ、それが本当の貧困だ」

なんて言ってしまう人はいるけれど、私は、
日本人は日本国内の相対的貧困率にもっと敏感でなければならない
と強く思います。
それは、「弱者がかわいそう」という単なるヒューマニズムではありません。



7.56 6.84 6.56 6.26 6.03 5.97 5.93 5.86


これ、何の数字かわかりますか?
世界の出生率トップ8の国で、一人の女性が一生の間に産む子供の数です。

1位 ニジェール…7.56人
2位 マリ…6.84人
3位 ソマリア…6.56人
4位 チャド…6.26人
5位 ブルンジ…6.03人
6位 ナイジェリア…5.97人
7位 コンゴ…5.93人
8位 ウガンダ…5.86人

ぜんぶ、アフリカの最貧国です。
絶対貧困者ばかりのはずのアフリカは、世界で最も出生率が高いので、
人口が減りません。
先進国とは違って、生活レベルも医療レベルも低く、衛生環境も劣悪で、
たくさん死ぬから、たくさん産むのです。
出生率世界トップ8の国の平均寿命は、どこも尻から数えたほうが早い短さです。

ニジェール…59歳 マリ…57歳 ソマリア…54歳 チャド…51歳
ブルンジ…56歳 ナイジェリア…55歳 コンゴ…59歳 ウガンダ…59歳

ひたすら種の保存のために子供を産むのです。
そして、生き残って育った児童は、働かなければなりません。
教育レベルも低く、衛生面の知識も、避妊の知識も、ありません。


一方、日本はぶっちぎりで平均寿命世界ナンバーワン(84歳)です。

しかし、現代の日本では、貧困状態は、アフリカの失敗国家とは違って、
出生率の歯車を逆回転させます。

貧困率が上がると、出生率は下がると予測されるのです。

以前、ライジングでも書きましたが、誰しも結婚して、子供を2人以上、
できれば3人産めたらいいなと希望しています。
しかし、現代の日本は、戦後の日本とも、アフリカの最貧国とも違って、
生活するにも、子育てにも、異常に金のかかる国です。

《自分たちの所得では、とてもじゃないけど、子供を育てられない。
夫婦2人で普通の暮らしを保っていたけど、子供を2人も産んだら、
貧困家庭に転落してしまう・・・》


こういったケースがたくさん存在するのです。

さらに、子供どころか、自分が暮らしていくための稼ぎを得るだけでも
精いっぱいで、結婚もままならないという人が、どんどん増えています。
そういった人に、

「アフリカを見よ! 路上生活をして、子供を6人生めばいい。
5人餓死しても、1人ぐらいは生き残るから。

男の子が生き残ったらカカオ農園に売ればいいし、
女の子なら売春婦として働いてもらって仕送りさせたらいい」


とでも言うつもりですか?
アフリカと比べて日本は裕福だから、格差はないなどと言う人は、
非正規社員として喘ぎ、給料が上がらず、結婚できないどころか、
「生活が苦しい」と訴える若者に、そう言ったらどうですか?
殴られるからキャッチャーマスクかぶって言ったほうがいいですよ。

今の日本の状況では、このまま貧困率が上がると、出生率は
ますます下がると予想するのが普通の感覚です。
子供が生まれなくなれば、日本という国の未来はありません。
アフリカの失敗国家に比べて、高度な文明、豊かな経済、発達した医療、
福祉制度があったとしても、
日本には、日本の貧困があり、その貧困を軽視することは、
国家の重大な危機につながっています。


日本人は、日本国内の相対的貧困率にもっと敏感になるべき時だと、
私は思います。

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一目で格差がわかる相対的貧困率の補足データ

きのうは時間がなくてブログに載せきれなかったのですが、
厚生労働省の相対的貧困率に関する公表資料から、
「これ見れば一目瞭然で日本の格差がわかるじゃないか!」
「『格差はない』なんて言う専門家より、自分たちの実感のほうが正しい!」

と思えるグラフを紹介しておきます。

 


厚生労働省「平成25年国民生活基礎調査の概況」より 

まずは、所得金額(収入から税金や社会保険料を引いた手取り金額)の分布です。
日本人の総所得金額から平均値を計算すると、平成25年の調査の時点で、平均所得金額は537万2千円。しかし、この平均所得金額以下にあたる世帯の数が、60%以上にのぼります。




このグラフからわかることは、数少ない高額収入者が平均値を引き上げているが、現実は、中間層が崩壊して、6割以上の家族が平均値以下の所得で生活しているという日本の経済格差の実態です。
そして、所得金額を低い順に並べて、全世帯のちょうど中央、50%に当たる金額を調べると、中央値は432万円。現実の日本の平均的な家族は、年間432万円でやりくりしているということがわかります。


次に、この平均所得金額以下で生活している6割以上の世帯は、どういった家族構成なのかを表したグラフです。中央付近の537万2千円のラインより左側に注目して下さい。


もっとも目立つのが、母子世帯です。96%の母子世帯が、日本の平均所得以下で生活しているのです。次に目立つのが高齢者世帯です。シングルマザーと、いわゆる「下流老人」と呼ばれる高齢者の苦しむ姿が、はっきり見えてきます。

次に、生活意識の実態です。



平成13年から平成25年にかけて、「大変苦しい」、「やや苦しい」と回答している世帯が増加していることがわかります。苦しいと感じる世帯が増えている分、減ったのは、「普通」と回答してきた中間層世帯です。「ゆとりがある」「大変ゆとりがある」世帯は、安定した一部の富裕層なのでしょう。

上の調査から、平成25年の生活意識をさらに詳しく見てみると、どのような家族構成の人が、どのように感じているかがわかります。



一目瞭然。母子世帯、子供のいる世帯、高齢者世帯が、「大変苦しい」「苦しい」と実際に訴えているのです。

これを見ても、実態をなにも表していない地球規模の絶対的貧困率の計算を持ち出して、「日本の貧困はたいしたことない」「格差は広がっていない」などと言う人間は、よっぽど安定して快適な生活をしているんでしょうね。
豊かな生活のなかで、弱者を見て見ぬふりしているだけ。弱者の意見、弱者の存在を否定する人達です。

「給料なんて上がらないですけどね・・・」
「先々考えたら、お金使おうと思えないですよね・・・」
「夫婦共働きでなければやっていけないですよ」
「子供を産めと言ったって、一人産むにも、先行き考えると不安です・・・」
「スーパーが値上がりして、つい産地もわからないクズ野菜に手を出します」


こういった実感のほうが、明らかに正しいのです。

 

 

 

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先進国の国内格差は「相対的貧困率」に現れるもの

ある方が、経済学者による、
 

「経済格差は広がっていない」

「統計で差が出るのは高齢化のせい」

「生まれたての赤ちゃんには資産がない」

「今は赤ちゃんの数が少なくて、高齢者の数が多いので、

統計上、差が広がっているように見える」
「マスコミでは貧困という
かわいそうな話は注目が集まるので、

喜んで取り上げる」
 

といった言い分が紹介されており、首を傾げました。
また、この主張の補足として、
あるブログも紹介されていたけれども、
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65876030.html
読んでみると、頭のなかが曽野綾子みたいな人が書いた内容でした。
このブログの執筆者いわく、


“日本のマスコミは国内の「相対的貧困率」を持ち出して、格差社会を
問題だと言って扇動するが
現実には収入格差は縮まっている。
マスコミが絶対に取り上げない「絶対的貧困率」の国際比較を見よ。
日本は世界でも貧困率の
低い国であり、
このグラフを見れば、日本の
貧困など大した問題ではないということがわかる





◎絶対的貧困率
必要最低限の生活水準を維持するための食糧・生活必需品を購入できる
所得・消費水準に達していない絶対貧困者が、その国や地域の全人口に
占める割合


◎相対的貧困率

ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の全人口に占める比率。
世帯収入から税金・社会保険料を引き、世帯1人あたりが自由に使えるお金
を出し、それを低い方から並べた時に、ちょうど真ん中にあたる人を基準とし、
所得がその半分に満たない人の割合。

単純な購買力よりも、国内の所得格差に注目する指標


あのねー・・・。

地球の絶対貧困者と比較してどーすんの!?
国家間の経済や文明の水準はまったく異なっており、なにもかも一緒くたに
して貧困問題を語ることはできません。

アフリカのように、栄養失調の子供ばかりの大貧困層で構成されている
最貧国・失敗国家の分布を知るには、絶対的貧困率が有効だろうけど、
日本のような先進国で、どう考えてもアフリカよりも明らかにインフラが
整っており、働けない弱者でも、生活保護でなんとかしのげる福祉制度まで

ある国家の中での、貧困の実態は、相対的貧困率を見なければ意味がない

でしょう。



この絶対的貧困者のグラフ、『データブック国際労働比較』は、

毎年発表されて、ネット上でも全ページ閲覧可能になっているのだけど、
よくよく見ると、もとは、Pew Global Attitudes Project という、
ワシントンに本部を置き、オルブライト元米国務長官が議長をつとめる機関が
発表した資料のなかから引っ張ってきたらしい。
で、この機関のホームページに、もともとの資料がPDFで公開されていたので
見てみる。
世界の経済格差や各国国民の幸福度、貧困率、グローバリズム受け入れ度
などを調査したものなんだけど、
その調査規模が、「世界44か国に渡る、38,000人から調査」。
サンプルが全世界でたった38,000人ですよ。
そのなかに、日本在住の日本人で、日本の本当の実情を回答した人は
何人いたわけですか?

この Pew Global Attitudes Project による絶対貧困率の調査は、
あくまでも、地球上の絶対貧困者の分布を図る目的で行われたものであり、
資料では、アフリカや中南米諸国の貧困を大きな問題として捉える記事が
添えられていました。


↓↓元記事のグラフ。縦長だったので、見やすいように泉美が整形したもの。





一方で、日本にでは、厚生労働省と総務省による「相対的貧困率」の調査が
公表されており、ホームページで全データを閲覧できるようになっています。

日本全国の各市町村からまんべんなくサンプリングした57,000世帯から
調査した「全国消費実態調査」と、36,000世帯からの「国民生活基礎調査」
を比較したもので、日本国内の貧困状況、経済格差を知るという目的ならば、
Pew Global Attitudes Project のグラフによる、地球の絶対的貧困数からは、
決してわからない実態
が明らかになっています。

相対的貧困率は、世帯収入から税金・社会保険料を引き、世帯1人あたりが
自由に使えるお金を出し、それを低い方から並べた時に、ちょうど真ん中に
あたる人を基準とし、所得がその半分に満たない人の割合

要するに、一般的な家庭の所得の半分に満たない金額で生活する人の割合
です。
日本では、単身世帯で
年間122万円がこのラインになります。
2人世帯では173万円、3人世帯で211万円。

この実態に即した調査で、貧困ラインを下回る状態として現れたのが、

日本全体で16.1%、子供のいる世帯では16.3%、
つまり、6人に1人の子供が貧困状態にある、という結果なのです。



国内の貧困問題を語るときに、国際比較のグラフを持ってくる奴なんて、
ちゃんちゃらおかしいと思わなければいけません。

地球規模の絶対的貧困率と、日本国内の相対的貧困率、
データの悪用に騙されてはいけません。

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民主主義という病いは、権力者の家畜を作る

昼の奥様向けワイドショーに、舛添氏の辞任を受けてもまだ、
「最初は辞任しないと言っていたのに、すぐ翻しましたね!」
などとむちゃくちゃなことを言って叩いている国際弁護士が出ていた。
『水に落ちた犬を打て』の精神だ。
首でも吊れと言わんばかりだし、現実問題、この群衆の異常な狂乱、
集団リンチ状態を途中でピタリを止める方法があったとすれば、
自殺という名の公開処刑か、またもやの激甚大災害か、
国内でのとんでもないテロ死亡事件発生か・・・
いずれにせよ《衝撃的な死》を目の当たりにするぐらいのことしか
なかったと思う。
そのぐらい、異様で恐ろしい空気が出来上がっている。


は、オオカミだった時から、どんどん人間に近づく動物になって、
現代では、人間の決めた「商品価値」に乗せられて、バカで愛くるしく、
人の手を焼かせて飼われていないと生きていけない愛玩家畜として
適した品種に交配させられている。
ペットショップには、一部の金持ちに高く売れる、小さくてバカでかばん
に入るような犬がごろごろ並んでいる。
ソファから飛び降りただけで骨を折ったり、散歩させすぎると関節炎を
起こすような、飼い主の手から離れれば死ぬしかない犬だ。


は、原種のものと、家畜として飼われるようになったものでは、
染色体のレベルから違うそうだ。
毛を狩りやすく、人間が扱いやすい品種だけを交配させてきた結果、
現代の家畜羊は、古代の羊よりも脳のサイズが小さくなっているらしい。

そして、羊は、群れになって過ごさなければ生きられない。
一匹ではとても害獣と戦えないことがわかっているから、本能的に群れ
をつくるようにできているのだ。
でも、その群れには、猿のようにリーダーがいない。
だから、羊飼いの少年でも、何百匹もの羊を扱うことができるのだけど、
リーダーのいない群れは、些細なきっかけから、突如として、全員が
つられつられた大暴走を起こしてしまう。
その無意味な羊の群れの暴走が、「羊の集団自殺」を起こす。


羊の集団自殺は、遊牧民が被る大損害のひとつなのだと聞いた。
羊をぞろぞろと牧草地まで歩かせているときに、たまたま崖側にいた
一匹の羊が、なんの弾みか、ピョンと崖から飛んで落ちてしまう。
すると、そのそばにいた羊が、些細な一匹の事故につられて、
またピョンと崖から飛び降りてしまう。
そして、群れがどんどん後につづけと、引きずられて、次々と崖から
飛び降りはじめる羊パニックを起こしてしまい、
こうなると人間にも犬にもを止めることはできず、5分、10分の間に
数百頭の羊が死んでしまうという大事故になるという。

羊にしてみれば、わけもわからず、習性に従って、群れを維持すべく
後に続いただけで、まさかそれが死へのダイブ・集団自殺だったとは
意識すらしていないだろう。
けれども、気が付けば谷底で全員が死んでいる。

人間にもまったく同じ現象が起きている。
些末なことに囚われて、どんどん狂乱が膨らんでいく。
その狂乱の群衆につられて、感じるよりも先にヒステリー行進を起こす。
もっと巨悪の、群れを追い詰めて干上がらせようとする問題があるのに、
そこには目を向けない。
また、目を向けないように、躾けられ、愛玩人間化、家畜化されていく。
民主主義という病いは、権力者のペット、権力者の家畜を作るばかりだ。
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