へんてこジェンダー・ギャップ指数


ただ本を読んだり買ったりしているだけで黄金週間が終わるよ・・・。
人付き合いがあんまり好きじゃないんだよな。

「日本アラブ協会」が発行している『季刊アラブ』に掲載されている、
小池百合子氏のレポートを読んだ。
世界経済フォーラムなる機関が発表している
「ジェンダー・ギャップ指数(男女平等指数)」において、
日本は145ヵ国中101位だったと言って、怒っていた。

なんじゃそら?
そのジェンダーギャップ指数というのを調べて見てみたら、
2015年、日本は、ルワンダにもフィリピンにもニカラグアにも
ナミビアにも
ラオ族にもモンゴルにも中国にも負けているから、
頭のなかが「?」マークでいっぱいになった。
小池百合子によれば、
エジプトにも追い抜かれること確実なレベルなんだって。

ほんまかいな?
あ、あのう・・・男女平等以前に、人権意識がままなってない国が
いくつも混じってるんですけど・・・。

「うちの旦那、エジプト人でイスラム教徒なんだけど、
男尊女卑すぎてありえない! 
平気でビンタしてきたりするのよ!」
と激怒して離婚手続きに走ってる日本人の女の人いたし・・・。


フィリピンパブの女性にハマってしまったある日本人男性は、
「日本ノ男性エライ。ネエ、助ケテホシイヨ。養ッテヨ」
としがみつかれて、かなり養った挙句、逃げられたらしいし。


そもそもジェンダー・ギャップ指数ってどうやって計測したのか?
日経新聞に掲載されていた情報によると、女性の地位を、
政治・経済・教育・健康の4分野で数値化し、比較したものらしい。
日本は識字率と中等教育への進学率が世界1位であるにも関わらず、
主婦が多くて女性の労働参加率が低いこと、賃金の低いことと、
女性議員の比率が低いことが、総合順位を下げたとのこと。
トップ5はアイスランド、ノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国で、
そして、6位ルワンダ、7位フィリピンだって。

ル、ルワンダ?
あの映画『ホテル・ルワンダ』のルワンダですよね。
ナタを振りかざして、フツ族とツチ族が殺し合った、
アフリカ赤道直下の国、ルワンダ。
女性は教育すら受けられない貧困国だったと思うんだけど・・・。
調べてみると、その民族抗争で1年ぐらいの間に100万人が
虐殺されて男が激減してしまったので、「苦肉の策」で議会が
「女性の活用」を打ち出したところ、女性の議会進出が進み、
議会の3割以上を女性にする制度が憲法に盛り込まれ、

現在では議会の63.8%が女性議員となったのだそうだ。
なるほどお!
日本は女性活躍大臣がいるのに女性議員は衆院で9.5%と
かなり少ないですからね。
って、虐殺で男が減らなきゃ変わらないわけか・・・。

そして、ルワンダと日本、そこで比較していいのだろーか・・・。

そりゃ男女平等はもっと進んでほしいと私もはっきり言いたいけど、
民族大量虐殺国も、先進国も貧困国も、宗教の価値観も、
経済成長で男が稼いで女を養えていた時代のあった国も、
ぜーんぶ一緒くたに並べて比較した、その数値、
正しい実態として紹介しちゃっていいんですかね・・・。
日誌 | - | -

映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』

東中野で映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』を観てきた。
この映画を見ると、もう、そう簡単に「破天荒」とか称せないよぉ?
その伝説は、かねがね聞き及んではいたけれど、
ここまで破天荒のスケールがでかかったのかあ。




一番驚いたのが、むかし『写真時代』のグラビアで、
荒木経惟が撮っていた赤塚不二夫の◎◎◎写真。
「こ・・・ここまでやっちゃってたの!?」って度肝抜かれた。
あの号、もし古本屋に出てたら、私、手に取ってしまうもんね。
絶対ビニールで綴じられてて見られないと思うけど。

世間体にまったく縛られない「ルール破りのプロ」。
生涯それを突き通してしまう、それでも許されてしまう才能の凄さ。
そりゃ自己破壊的で、破滅的でもあるし、
最後はアル中になって、財産どんどん吸い取られちゃって、
ああー、言わんこっちゃないよ・・・と思うんだけど、
あまりにも徹底して破天荒をやり切ってしまうから、最後には、


「これでいいのだ」

この言葉が効いてきて、
そんな生き方に憧れる気持ちが生まれてしまうという。


全編に面白いエピソードがちりばめられていて、
思わず爆笑してしまうシーンがちょいちょいあった。
ネタに困って、アシスタントだった古谷三敏から出たアイデア
『真夜中の停電』というギャグは、やたらツボにはまってしまった。
先日の『胴全体がガン』ぐらい、じわじわ引きずるかもしれない・・・。

後半の、のんべえ時代には、うちの店がけっこうしっかり出てきて
嬉しかった。

漫画そのものが知識人からバカにされて悔しい思いをしていた
赤塚不二夫が、ピカソの「ゲルニカ」を見て、
「なんだ、ピカソって漫画じゃないか!」
と大喜びしたというエピソードは心に残ったなあ。


上映後は、東中野から神田川沿いをゆっくり散歩して、
上京して初めて住んだ大久保のマンションを見に行った。
この最初の部屋が一番家賃高かったな。ここで会社やってたから。
捨て猫をもらった動物病院は、ずいぶん古ぼけたけど、まだやっていた。
出前やってるのに日本語がまったくできない台湾人しか電話に出なくて、
結局いつも「いいです、行きますから!」と電話を切って、店まで食べに
行っていたラーメン屋も、そのままだった。


 
日誌 | - | -

女は『議論への参加』と『私情のガス抜き』を混同しがち

女だけで寄り集まって、男の悪口を言い合うのって、本当に快感!
それは、女として身にまとっている自己幻想を脱ぎ去って、
『鬼の顔 みんなで出せば 怖くない』
って感じで、醜い私情をぶちまけまくり、それでも同意してもらえる
という解放感があるからだと思うんですが、
女性は、そういったガス抜きの井戸端会議と、公論のための議論を
ごちゃ混ぜにしがちなところがあるのではないかなあ…。

以前、ゴー宣道場で、
「昔は、専業主婦と言えば、煎餅をかじりながら居間で寝転んで、
昼のメロドラマを眺めているイメージがあった」
と発言したところ、専業主婦だという女性参加者に
「私は介護や家事で大変だった」「ブチ切れそうになった」
と言われたことがありました。

決して「主婦」を揶揄したわけではありませんでした。
高度経済成長期の時代は、そういう風に過ごせる主婦がいて、
ドラマやコントのなかにも「お気楽」なキャラクターとして一般化
されていたという世情を、意見表明のなかで触れただけ。
けれども、その女性がマイクを握って表明したのは、
自分が結婚して主婦になったことで起きた困難に対する恨みつらみ、
「ブチ切れそうになった」のは、そんな自分の苦労を誰にも知って
もらえない、慰めてもらえないことへの個人的な怒りでした。

その女性が、嫁ぎ先から「嫁」としての理不尽な苦労を強いられ、
辛酸をなめ続けたことは本当なのだろうと思います。
そして、その苦労を報われたい、慰められたいと思うのは人間として
当然のことで、ごく自然な気持ちだと思います。
けれども、その個人的な「報われたい」「慰められたい」ケースを、
一般化された主婦像の説明に、ヒステリックにぶつけてしまったら、
それは、公私混同。
『議論への参加』ではなく、単なる『私情のガス抜き』でしか
なくなると思います。

女性は、本当にこの手の混同が多いのではないかと思います。
「報われない!」「慰められたい!」「察してほしい!」
特に、寡黙を美とする日本男児を前にすると、こういった、
内なる私情の種火を、弱者の目線で燃やしまくってしまいがちというか。

それから、むかし、ある女性から
『女であることは、ハンディキャップである』
という旨の話をされて、「えええ、そうなのお!?」って驚いたことがあります。
だって、女であることで、いろいろ得させてもらっているし、
私には、女だから乗り切れた人生の名場面が、いっぱいあるんだもん!
女性はみんな、そういう場面あるんじゃないの?
でも、そういった思想が一般的なのかしら?
だとしたら、その感性も、議論と私情の混同を招きそうに思うのですが…。
男尊女卑はあるし、腹立たしいことはいっぱいあるけど、
『ハンディキャップ』とまで言われちゃうと、そうかあ? と思っちゃうなあ。
私のイケイケゴーゴーな主体性を否定されたような、いやーな気持ち。

日本男児も、男なだけでたいがい重圧背負わされてて大変そうだけどな…。
日誌 | - | -

ジェンダーフリー革命は、『解放』ではなく『弾圧』です。


ブログ「ジェンダーフリーの革命女のメッセージに応える」を読みました。
ジェンダーフリーの人って、誇大妄想の権化なんですね。
女であること、男であることで、嫌な思いをすることはあるけれど、そういった私的な憎しみと、差別的かつ支配的な願望がぐちゃぐちゃに絡まり合って、大勢の人々に「ジェンダーフリーという幻想」を、押し付けようとしている。それがジェンダーフリー革命なんですね。
いい迷惑です。

だいたい、この方の言う『解放』ってなんでしょう。
ゲイ、バイ、レズ、トランスジェンダー、女装趣味、男装趣味、新宿二丁目で働く私にはいろんなものを抱えた友人達がいるし、誰のことも尊重したいし、否定するつもりはないけど、これだけは堂々と言えます。

世界中の男女が、「男らしさ・女らしさ」から『解放』されたら、それって文化崩壊、人類滅亡のはじまり、ですよ。

「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」

「きみの全く女らしくないところに、美しい未来を感じるよ。一生女として扱わないから、女っぽさを絶対に見せるなよ」

「恋愛の歌は差別用語のオンパレードだ! 廃絶すべき!」

「今年の我がデパートの販売戦略を考えました。『父の日の贈り物に、ミニスカート』。これをトレンドにしましょう」

これじゃ、人類、繁殖できないよ!
しかし、これがジェンダーフリーの方々が求める、理想の世界ということになりますよね。

そこまで性差から解放されて、完全に自由奔放に生きたいのなら、人間社会から飛び出して、野性として暴れまわってみたらいいですよ。だけど野性は、男性と女性の差が、もっとはっきり分別ついてます。

クジャクは、オスが美しい羽を広げて、メスに『立派なオス』という幻想を抱かせなければ子孫を残せない仕組みになっています。

クワガタは、大きな角を持ったオス同士が戦って勝ち残り、『男らしい優秀さ』を発揮しなければメスを獲得できません。クワガタのオスは、メスが樹液を吸う間、ずっとそばについてメスを守ります。

花はオシベもメシベも一体となっているから、性差はないかな?
ところが、全力でいい香りを放ち、虫たちを誘い込まなければ受粉できません。
そうしないと、今度は勝手に増えすぎて全体が滅びるからでしょう。
一個体の完全なる自由は、滅亡を招くだけなんです。

ジェンダーフリー革命なんて、人間を無視しすぎというか、人類として傲慢すぎるとしか言えません。
性差という生命の根本を、思想で否定するなんて、完全に、知能の毒性にやられてしまっています。

女らしさという幻想を持たれたくないのならば、
そう思う人が、自分から女らしさの要素を一切排除しなければいけません。
不利益を受けたくないなら、特権も捨てなければいけないからです。
社会全体にジェンダーフリーを求めることは、『解放』ではなく『弾圧』です。
くだらない救世主気取りで、世の中を窮屈にするのはやめてもらえませんか?


 
政治・社会問題 | - | -

うおお、野性だぜ!『レヴェナント:蘇えりし者』

映画『レヴェナント:蘇えりし者』を観てきた。



ディカプリオが、生肉を食らう!
ディカプリオが、流氷浮かぶ極寒の川に飛び込む!
ディカプリオが、う、う、馬に・・・・・・!

ここまでやるの!?
顔立ちからアイドルなイメージがあったけど、こんなにも
迫力ある演技をやってのける俳優になっていたのかあ。
すごいというか、すさまじいよ。

ネイティブアメリカンの役を演じる俳優もよかった。
途中で出会う、生肉むしゃむしゃ食らってる人も、
目つきに生命力が漲っててすごかった。

アメリカ?では、よく知られているらしい実話をもとにした大作でも
あって、全編を通してリアルさが追求されまくっているので、
私には刺激が強すぎて、何度も「ひーっ!」となったけど、
広大な雪原や、連なる山脈、雪解け水の海のなかの森など、
大自然の世界が味わえるので、劇場で観たほうが良いと思う。
自然の摂理の凄惨さ、みたいなものが、
「いのちをたいせつにしましょう」とか「世界にひとつだけのあなた」
みたいなヤワな標語を、一瞬で紙屑のごとく吹き飛ばしてしまう
むき出しの野性の世界を演出してもいる。

大自然で苦闘する人間たちの映像を眺めながら、ぼんやりと、
(人間って本来、自然という枠のなかでは、全員が弱者なんだよな)
と思ったりもした。
「サバイバル」って言葉自体が、そういう意味を含むんだしね。

「馬のシーン」は、本物を使ったらしい。
いやー、ディカプリオ、すごいなあ。





 
日誌 | - | -

パラレルワールド

今朝はMX「モーニングCROSS」。
ゴルフ解説者の小山武明さんと初めてお会いした。
個性が強くて、お話も上手だし、とても面白い方だなあと思った。
後半のオピニオンのコーナーは、『不謹慎狩り』について話した。
「炎上」って、ある意味ネットの娯楽、消費活動でもあるんだろう。
でもネットは、そこに人間が見えないから、自意識が暴走しやすい。
人間と対話するときは、話し手も聞き手も、表情や相槌のトーンなどから
フィードバックを受けて、お互いに作用・影響しあって、その場で自分を
振り返りながら、微妙に調整をしていくという「縛り」が発生する。
その調整が「常識的な態度」というものなんだと思う。
だけど、ネットはそれがない。
なんの束縛もない自由な空間だから、常識が宿らない。

かと言って、ネットではむちゃくちゃな不謹慎狩りをしてる人も、
現実の世界では、ものすごく常識的な普通の人だったりして・・・
デジタルの私、アナログの私、そんな「ひとりパラレルワールド」を抱える、
ネット病みたいなものは、ますます蔓延しているのかもしれないな。





 
日誌 | - | -

明日はMX「モーニングCROSS」

あす4月27日(水)はMX「モーニングCROSS」に出演します。
朝7時〜8時30分の生OA、アプリ『エムキャス』でもご覧いただけます。




泉美木蘭からのおしらせ | - | -

子供と同居、世帯年収高いほど炎上に加担するらしい

情報リテラシーやコミュニケーション論などについて研究している
「情報通信学会」の学会誌のなかに、若手研究者の山口真一氏が
投稿した
「実証分析による炎上の実態と炎上加担者属性の検証」という論文
があったので、読んでみた。


日ごろ、ネットに散らばる心無い炎上書き込みの文章を見ていると、
この人たちは、まともな職にもつけず、ニート状態で、収入も低く、
結婚はおろか恋愛もできず、頼みの綱はポルノイラストや動画で、
そのため人の痛みがあまりわからなくて、長らく引き篭もって、
異常に長い時間をインターネットにどっぷり浸かって過ごしているので、
実感の伴わない文字情報ばかりを頭に詰め込んでいるような、
学力のない、バカでどうしようもない、社会と疎外されたような、
コミュニケーションのできない人間たちなのかなあと思っていたのに、
実際、炎上に加担している人達の人物像を調査してみると、

◎独身者よりも子供と同居している既婚者のほうが多く、
◎個人年収が増えるごとに炎上に加担する確率が増え、
◎世帯年収が増えるごとに炎上に加担する傾向が頑健に示され、
◎学歴や学力水準は、炎上には関係なく、
◎インターネットの利用時間の長さは炎上の加担には関係ない


というのだ。
ええーっ! なんとなく想像していた人物像とぜんぜん違う・・・。
と、思いつつ、しかし、よくよく考えてみれば、
フェイスブックには、実名も顔写真も公表しながら、
公然と、有名人の不謹慎を糾弾する書き込みをしたり、
新聞各社の被災地に関する投稿に、いちいちイチャモンを
書き込んだりしている人はたくさんいて、そういった人達の
日々の生活ぶりや、学歴、職場などを見ると(公表しているので)、
決して《社会の最下層》ではないわけです。

じゃあ、なにが顕著な「炎上加担の条件」になるのかというと、
「SNS(ツイッター、フェイスブック等)の利用時間の割合」
に比例するのだそうで。
一日中ずっと家にいて、インターネットを見ているニートよりも、
一日のべ1時間程度、フェイスブックやツイッターだけを利用する
会社員の子持ち既婚者のほうが、炎上に参加しやすい、と。

このグラフを見ると、なるほど、と思う。
《炎上》の年間件数をグラフにしたものなんだけど、



2011年から急増している。
これは、ツイッターとフェイスブックが流行りはじめた時期と重なる。

なるほどなあ・・・。
さらに、興味深い検証結果もあった。
実際に炎上騒ぎの起きたブログを調べてみたところ、
700件の「罵詈雑言の書き込み」について、アクセスログを検証したところ、
実際には、たった4人のIPアドレスしか記録されていなかった
、と。
そして、2万人の調査対象からとった結果でも「炎上に加担したことがある」
と答えた人は、全体のたった1.5%であったとされている。

要は、単なる少数のクレーマーが、ギャーギャー大騒ぎをしてみせて、
圧力を与えているだけなのか。
だったら、カップヌードルのCMのように、企業が炎上に屈するのは良くない
ことだよなあ。
政治・社会問題 | - | -