サマセット・モーム『雨』のなかの、道徳と不道徳。

12月のゴー宣道場では、『道徳』をテーマに議論するので、
なにかにつけ、「こんな時、道徳的にどう?」と考えている日々…。

サマセット・モームの短編に、『雨』という超名作があります。
「道徳、不道徳ってなんだ」と強く印象に残った作品。

舞台は、サモアのある島に停泊する船。
イギリス人の宣教師と乗り合わせた、医師の白人男性の目線で語られます。
宣教師は潔癖なまでの禁欲主義者で、以前赴任していた教区では、サモアの現地人が、露出度の高い民族衣装を着てダンスするのを『道徳的堕落』と判断し、民族衣装もダンスも禁止し、罰金を科していたと言います。
また、宣教師の妻は、夫の権威を笠に着て、現地の人を侮蔑するような発言を医師の妻相手に吐きまくっていました。

「ゾッとするような風習」
「あの村にはちゃんとした娘なんてひとりもいない」
「何よりもまずあのダンスをやめさせることだと思った」
「白人同士なら別だけど、現地人のダンスは不道徳の根源」


そこへ、同じ船の乗客で、トムソンという自由奔放な娘が現れます。
トムソンは、好きなレコードをかけて、派手なファッションに身を包む娼婦でした。
船の中でも客をとり、ガンガン音楽をかけて享楽にふける毎日。
この娼婦の存在に業を煮やした宣教師は、彼女を「教化」しようと躍起になりますが、彼女のほうは、敵視し、嘲り笑うばかり。
しまいに宣教師は、トムソンを排除するべく、弱みにつけこんで、サンフランシスコへの強制送還の手続きをとってしまいます。

慌てたトムソンは、一変して宣教師にすり寄り、レコードもやめて、「神の話を聞きたい」と言うようになります。
宣教師は、その日から、夜ごと熱心にトムソンの部屋を訪れて、説話に励むようになりますが……

3日目の朝、浜辺にこの宣教師の遺体が打ち上げられました。
宣教師は、のどをかき切り、自殺したのでした。
娼婦トムソンと宣教師の攻防を知っていた医師は、トムソンの部屋へ掛け込みました。
トムソンは、再びうるさいレコードをかけながら、こう怒鳴ったのでした。

「男! 男がなんだ! 豚だ! 汚らわしい豚! 豚! 豚!」


トムソンと宣教師の間にあった具体的な出来事は語られないのですが、つまりは、禁欲主義を徹底し、他人に「道徳」を敷いてきた宣教師が、娼婦と部屋で二人きりになったとたん、誘惑に負けてただの男になり、情事にふけってしまい、さらにこれを悔いて自殺するという、宣教師の二大タブーを犯してしまうという話です。

これを読んだとき、男女の関係に関して「道徳」を持ち出してきびしく取り締まる人ほど、頭のなかは不道徳な妄想が渦巻いてしょうがないんだろうな・・・とまず思ったわたし。
そして、こんなに脆くて不埒な普通の人間でしかない夫の「権威」を笠に着て、他人を侮蔑していた夫人の存在が本当に醜く感じ、同時に、似たような現象は現在の社会でも、いや、自分自身にも、ありがちなことだと感じ、胸に手をやり、本当の道徳、不道徳について考えめぐらせたのでした。
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『中年の自分探し病患者』の蔓延について。

たまに会う信頼する友人と二人で、絶品の鳥の水炊きを食べてきた。
二・二六事件の青年将校たちが謀議に利用したとか、
頭山満が大感激して「水炊き日本一」という掛け軸を書いたとか、
逸話のある歴史の長い店で、看板には、頭山満の書いた字が掲げられている。
独特の濃厚な絶品白濁スープをひと口飲むと、
その味わいと、丁寧さ、温かさがじんわりと身体に沁みわたり、
少し黙ったあと、とても落ち着いた心境になって、じっくりと話をした。
主な話題は、『中年の自分探し病患者』の蔓延について。

 
◎中年になっても自分探しの旅から帰っていない人が多すぎる。
 
◎普通の人なのに、さも「アウトロー」や「博識」であるかのような
言動を心がけて接してくる。
 
自分探しの旅から帰れない人は、常識が育まれていないので、
「アウトロー」は、ただの「迷惑で意味不明でうざい人」にしかならず、
「博識」は、ただの「高慢で虚勢張り過ぎでうざい人」にしかならない。
 
◎客観性に欠けるため、特に下ネタにセンスがなく、うんざりするような
ただのオゲレツ話
にしかならない。

 
◎みずから積極的にタガをはずしたがる

◎かけたのは「
迷惑」なのに、「心配かけてごめんなさい」が常套句。

 
◎「タガをはずす」=「腹を割ってつきあう」ことだと勘違いしている。

◎「腹を割ったつきあい」に憧れを抱きすぎている。

◎普通そんなには他人に腹を割らない、ということがわからない。

 
◎誰も腹を割ってくれないので淋しくなる、というスパイラルにハマり、
自分憐憫モード」か「露悪モード」という自爆テロを引き起こし、
結果、相手の常識力のまえに木端微塵になる。


 
◎自分探しの旅から帰っていない人は、自分自身の姿をものすごく
見たがる習性がある。
 
◎異常な頻度でスマホ自撮り写真をSNSに載せる人は、要注意。
 
◎自分のSNSの投稿を読んでいるという相手と出会うと舞い上がる。
 
◎その相手からの承認や評価を通した「自分の姿」を作り上げ、
それをものすごく見たがる
あまり、相手に異常に執着しはじめる。

 
◎執着しはじめると、たいした用事でもないのに、メールやLINEの
返信を求め、思い通りにならないと呪いのオーラを発するようになる。
 
◎その呪いのオーラのうざさを指摘されると、激昂して狂ってしまい、
結果、相手の常識力のまえに木端微塵になる。


 
ううむ、やはり常識の醸成は心がけていないといけないねと頷きあった。
落ち着くほど美味しいものを食べると、会話がはずむなあ。
鳥の水炊き、おかわりを重ねて、結果、女二人で五人前食べた。
しめは雑炊で、デザートにシャーベットが出て、
店を出たあと喫茶店に移って、ケーキセットを食べたことは
ここだけの内緒にしておきたい。

バナナ食べて寝ようっと。
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トリコロールをかぶる同情心…という軽さ。Facebookでフランス国旗をアイコン化するのはありか、なしか。

先日書いた「Facebookでプロフィール画像をトリコロールカラーにするのが流行っている問題」、わたしが師範をつとめている『ゴー宣道場』の門弟MLのなかでも議論が沸騰している。
Facebook内でも、賛成論、反対論、それぞれの記事が活発に投稿されているようで、自分の立ち位置に応じて、他人の記事の紹介合戦が行われており、おおむね、トリコロールになっている人が、ものすごくむきになって「他人の哀悼の意にとやかく言うな!」と怒っているという状況。

私には、「国旗って、やっぱり重い」という感覚がある。
この数日、フランスが空爆に力を入れはじめたという報道を目にするたび、
「トリコロールカラー=フランスの空爆支持」
にすら見えてしまい、もちろん掲げている人みんながそこまで深く考えてはいないとわかっているとは言え、Facebookというネット空間が、いつの間にかファッションで空爆を支持する場所のように見えてきて、その扇動の軽さが恐くなり、引いてしまった。
それに、日本の報道は、やっぱり欧米寄りだから、空爆で無残に死んでる中東諸国の無辜の民の命については、『なかったこと』として扱われてるんだもん。そもそもの情報がものすごく偏ってるのでは?? と。
パリのテロの前日は、レバノンでもテロがあってかなりの犠牲者が出たけど、誰もレバノンの国旗をアイコンにした人はいなかった。

トリコロールカラーってかわいいから、ファッション的には好きなんだけどね。
でも、やっぱり
国旗。状況によって、すごく重い、と。
先日、ジャーナリストの笹幸恵さんからチケットを頂いて、日本武道館で行われた「自衛隊音楽まつり」を観に行ったのだけど、このとき、国旗の入場に際しては、観客全員に起立脱帽と国歌斉唱がもとめられた。相撲やサッカー、国際的なスポーツ祭典の表彰式で、このようなシーンはよくあるけど、実際に自分がその場に居合わせると、やっぱり国旗の重さというものを実感する。
それに、軍隊には、わざわざ国旗を掲げて行進を鼓舞する艦旗隊というのがいるんだよね。私が見た日本の海上自衛隊の艦旗隊は、女性6人組で、制服がものすごい煌びやかで、白のラバーのニーハイブーツでビシ、ビシ、ビシ、と行進してて、ガン見しちゃったんだけど。
ほかにも「旗を振る」「旗手になる」「旗印」とか、大勢の人間を扇動するために旗が使われるという言葉がたくさんある。アメリカは、月に星条旗を立てたしね。意味が重いんだと、やっぱり思う。


だってさ、たとえば、いま仮にオリンピックが開催されていたとして、なにかの競技で日本人選手が優勝したとして、その選手が、パリが大好きで、哀悼の意を表するために、フランスの国旗を纏ってウイニングランしたら……。
それってものすごい国際問題に発展するんじゃないかなー??
間違いなく、「日本はフランスの空爆を支持した」と受け取られるから、イスラム国から、次は日本だ!みたいな挑発受けるよね。
私は、日本の前に、イギリスだよねー、と思ってるけど。

みなさんは、どう思いますか?

テロについて過剰にふれるのって、テロリストの思う壺って感じだけど、この問題については、小林よしのり先生のお話しもお聞きしたみたいし、わたしなりに、国旗というものについて思うところもあるので、20日金曜日の、よしりん先生とのニコニコ生放送でも話したいと思います。
興味のある方は、ぜひご視聴下さい。

ニコニコ生放送【よしりんに、きいてみよっ!】
 
政治・社会問題 | - | -

トリコロールをかぶる同情心

Facebookを見たら、皆がこぞって自分の顔写真の上に、
フランス国旗のトリコロールカラーをかぶせた画像を
アイコンにしているので驚いた。
どうやらFacebook側の仕掛けで
「パリのテロ犠牲者に哀悼の意を示し、祈る」
という意図のアプリのようなものが配布されたようだ。
ボタンを押すだけで、自分が使っているプロフィール写真の上に、
自動的にトリコロールカラーがかぶさるらしい。
いろんなものがあるなあ。
犠牲者は気の毒だとは思うし、やりたい人はやればいいし、
私もパリには好きなファッションデザイナーがたくさんいるから
憧れの感情もあるんだけど、ただ、そんなに愛着がないから
よその国の国旗かぶってもなあ…と眺めていた。

ふと思う。
フランスやアメリカが空爆したことで虐殺されてきた、
シリアなど中東諸国の無辜の民に哀悼の意を評して、
中東諸国の国旗を自分の顔写真にかぶせたりしたら、
それはやっぱり非道徳的とみなされたりするのだろうか?
「ニュース映像をご覧になってないのですか? 人間性を疑います」
なんて言われて炎上しそう。
まあな。
テロの味方する捻くれた悪ふざけにしか見えないか。


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きょうすれ違った人たち

代官山から渋谷、九段下と乗り換えて神楽坂へ来たところ。
各駅構内でここまでにすれ違ったのは、

アイアンマン2人、
キャプテンアメリカ1人、
妖怪人間ベラ1人、
ねずみ小僧2人、
猫娘1人、
砂かけばばあ1人、
TOTOのリトルベン1人、
ハリーポッター1人、
女連れののび太1人、
のび太連れの綾波レイ1人、
血まみれのミニスカポリス5人、
レイプされたような看護婦2人、
死に際のセーラームーン1人、
腐敗した女子高生4人、
複雑骨折の女子高生2人、
顔の半分が白骨化した氣志團4人、
腐ったシンデレラ1人、
きゃりーぱみゅぱみゅの怨霊1人、
カビの生えたおじさん1人、
全身骨折1人、
骨 3人。
あと、探す気になれないウォーリーがやたら団体で歩いている。
今年売れ筋のカンタン仮装セットなんだろう。
討ち死にした足軽とか、めちゃくちゃいっぱいいてもいいのになあ。

今夜はアイララの当番だ。
新宿二丁目のハロウィンは半端ない。
普段から夜更けにはドラァグクイーンが歩いている街だけど、
ゲイはなにせファッショナブルな人が多いから、
仮装がめちゃくちゃ上手かったり大胆だったり、
オリジナリティに溢れていたりする。
包帯ひとつでも巻き方がうまい。
今夜はどんなイリュージョンが起きることやら。
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「あ、いま、夢のなかにいる」

今朝は楽しかった。
6時頃にゴミ出しをして、寒さのあまり布団にもどってそのまま
二度寝したら、まどろみのなかで夢を見はじめ、そして、
その夢のなかで「いま、夢を見てる状態だ」と気がついたのだ。

私はお洒落をして部屋から出掛けようとしているんだけど、
玄関の靴箱をいくらあさっても右の靴しか見つからない。
ブーツもスリッポンもヒールパンプスも、出てくるのはすべて右。
困って、靴の右側だけ何足も抱えて裸足で玄関のドアを開けた。
と、そこはなぜか高層タワーの最上階の部屋になっており、
目の前に広がる大きな窓の向こうには、六本木ヒルズの森ビル、
東京タワー。しかもそれらを見降ろす高さにいる。

ここで「あ、いま、夢のなかにいる」と気がついた。
同時に「よっしゃラッキーーーーーーーッ!!!」

たいてい、夢だと気がつくと、急速に覚醒して目を開けてしまう。
せっかく安楽の夢の世界にいたのに、しーんとしたいつもの自分の
部屋の風景に引き戻された瞬間は、なんとも残念な気分になるものだ…。
この時も、窓の向こうの空に、巨大な黒いファスナーの線が見えた。
自分のまぶたの線だ。
これが上下に開くと、たちまち夢の世界は“夢”と消えてしまう。

ファスナーから意識を反らし、なるべくファンタジーを想像する。
想像したことはそのまま景色となって現れて、自由に遊ぶことが
できるのだ。

まず、抱えていた右だけの靴をぜんぶ猫に変えてみた。
黒猫、茶猫、白黒猫、赤猫。金色のラメの猫。
うまくいきそうだ。

それから、部屋のなかで試しにポンとジャンプしてみた。
軽々身体が浮き上がって天井に両手をぴったりつけていられる。
空を飛べると確信したので、窓を開けてベランダの柵をよじのぼった。
けっこう風が強くて寒い。
「やばい、やっぱり現実かも!?」
でもまあこんな高い所から落ちることも二度とないからいいやと思って、
東京タワーより高い空へダイブした。

気持ちええーーーーーーーー!!

一瞬まっさかさまに落ちたけど、うまく上昇して自由に飛ぶことができた。
でも、大都会の風景なんか見降ろしても汚らしくてたいして楽しくないし、
そしてここが私の想像力の愉快さなんだけど、そもそも強風のあまり、
さっきから着てる服がバッサバッサめくれ上がって、可憐なおっぱいが
丸出しになっている。
それで、実家の三重県の落ち着いた景色にスライドさせた。
近所の長いブロック塀の上やら、幼馴染みの家の屋根、港の灯台、
学校の屋上やらを落ち着いて飛び渡って遊んだ。

建物の窓が開いていれば、中に入ってみた。
生活感はそこかしこにあるし、ある家の台所には炊飯器の湯気が
充満しており、食卓に朝食の準備がなされていたりもするんだけど、
どこに行っても誰とも出会わない。
ふと、思った。


あっ、私、死んでるかも?


やっぱりさっきの高層タワーからのダイブ、現実だったのかも。

やっばー! ファスナーどこ? 空のファスナー!

上空へ、昇る、昇る、昇る!

ファスナーあった! 両手で掴んで上下にひっぱる! か、かたい!

おい、あたし、寝すぎなんだよっ! なにくそ、隙間に頭をつっこむ!

ぐおおお、めちゃくちゃ狭い! 狭すぎて息が詰まる! 死ぬーっ!

でもこの世界から出ないと! ぬおおおお、頭蓋骨がゆがむーっ!

な、なんか、でも、この強烈な狭さ、昔、どこかで体験した気がする…

これって、あたし、産まれ変わってるんじゃなあい?? ああああーっ!!




ごっふぁ!!

とても殿方には聞かせられない音声を立てて目を覚ますと、
私は、敷布団と枕の間に顔を挟んでもがいていたのでした。

やれやれ、驚いた。
楽しかったな。でもあたし、ホントに死んでたんじゃないか?

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高知市生後10か月女児虐待音声を聞いてしまって・・・

高知市で生後10か月の女児が母親から虐待死させられた疑いのある事件で、
近所の男性が、女児の死亡する前夜の泣き喚く音声をスマホで撮影していた
として、その音声がニュースで何度も流れるんだけど、
聞くたびに物凄い嫌悪感が渦巻くあまり、席を立って顔を洗いたくなってしまう。

もう流すのをやめてほしい。
火事の映像や、警察と犯人の大獲り物を撮影したものとは、性質が違わないか?

録音した男性は、女児の母親から
「赤ちゃんポストに預けたい。できるなら殺して、どこかから飛び降りたい」
と聞かされていたそうで、撮影した理由については、
「普通の泣き声じゃなかったので。すぐ危険を感じて」
「子供になにか直接命に関わることをされているのではないかっていうので
すぐ撮影に入りました」
と語っていた。

どうして子供の命に危険を感じたところで、スマホに手を伸ばして録音なのか、
警察に提供して事件の捜査に役立っているまではよしとしても、
取材に来たテレビカメラを自宅に入れて、どこでどう録音したのか、スマホを
手に持ち、当時のポーズまで再現してみせる姿には、得も言われぬ嫌悪感を
感じてしまった。
通報や救助は誰かがすると思ったのか、虐待の証拠を押さえたかったのか、

私にも野次馬根性はあるから、火事や事故現場で、おおっと思うことはある。
ただ、覗き見根性で撮ってしまったとしても、その赤ちゃんが本当に死んで
しまったことを知った時、
自分の撮ってしまったものに罪悪感や恐怖感を抱いたり、
そんな時にスマホに夢中になっていた自分、という存在を、天の神様から
じっと見られているような後ろめたさを感じたりはしないのだろうか。
男性のふるまいからは、どうもそんな大切な部分が欠けているように感じられて
ならなかった。


これを流しまくるテレビ局もちょっと感覚がおかしいんじゃないかと思ってしまう。
男性に「なぜ録音したのか?」とインタビューしているので、
視聴者をショッキングな音声で画面に釘付けにして視聴率を確保しておいて、
批判のほうは、男性の「覗き見根性」「撮ってないで助けろ!」という部分に
向けられるという仕組みになっている。
テレビのずるさを感じて嫌悪感を抱く。

「あの泣き声は異常だと思った」
「あの時病院へ行っていれば、死ななかったのかな」
近隣住民の証言があまりに『ありがち』なのも、この世の地獄に見えてきた。
自分の身のまわりにも、いつでも起きることだ。
いつか自分がそんな証言者になっているかもしれない。
共同体崩壊、隣近所の関わりが薄れ、お互いに無関心でいるために
見えない壁を作ってしまった世界、その冷徹な現実の小さな犠牲者が
泣き叫ぶ声。
その音声が、ひそかに近隣住民によってスマホで録音されており、
しかも公開されるという、さらなる薄気味悪さ。

大きな社会全体の問題が、どこか一点への批判に矮小化されて、
自分自身のものとして捉えられない、目を背けてなんとなく済まされてしまう、
このくり返しにも嫌悪感が渦巻いてしまう。


なんだかシールズみたいになってしまったからもうやめる。
とにかくもう流すのやめてほしい・・・
私は、赤ちゃんがいたたまれないんです。
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まさか死んだ人のコンサートだったとは・・・。

「チケットがあるから」と、知人からコンサートに誘われた。
案内チラシを見せてもらうと、何人かフォーク歌手が出演するのだけど、どうも年齢層がかなり上のようで、歌手の名前を聞いてもピンと来ない。
30代の私では、フォークソング自体に馴染みがないのだ。
「でも知ってる歌がいっぱいあると思うよ。すごくいいから、とにかく行こう」
恐らく知人は、もうすこし上の世代の人を誘いたかったのだろうけど、都合が合わなかったなど事情があった様子。見るとチケット代金も高いし、席を空けたくないようだ。行くことにした。


会場は、団塊の世代、もしくはそれ以上と思われる年齢層で満員で、なんと私が最年少。女子トイレでは、介助つきの方も何人か並んでいた。
開演すると、歌ではなく、なぜか精神科医だという白髪のおしゃれな紳士が登場して、「加藤和彦」という歌手のことについて語り始めた。
会場は喜んで頷いたり、笑ったりしているんだけど、私は話の前後関係もわからないし、人物相関図も頭に浮かばないし、ちんぷんかんぷん。その後に登場する人も、フォークの歴史をおもしろおかしく語ったり、加藤和彦と自分との関わりを紹介したり、加藤和彦の作ったという歌を歌ったりしている。

ほー、今日のメインは加藤和彦っていう人なんだな。
しかし、話を聞いていると凄まじい大物なんだな。
これだけ語りまくって期待感を高めているんだから、よっぽどだ。
あっ、「あのー、すばーらしい、愛をもう一度ー♪」って、この曲知ってるよ!
中学校の音楽の教科書に載ってて、授業で合唱したもん! す、すごい!!
でも、こんなに前座の歌手たちが歌ってしまったら、本人の歌う歌が減っちゃうじゃないか。うーむ、老体にムチ打つわけにもいかず、勿体ぶって時間を稼いでいるのか。
ああ、はやく加藤和彦出てこないかなー!

・・・なんて感じで、じいーっとちんぷんかんぷんの話を聞きながら、
ご本人の登場を待っていたのだけど、ちっとも出てこないまま、第一部終了。
えええっ、これだけ語りまくって、そのメインが登場しないまま、休憩!?
す、すごすぎる。外タレのコンサートでもなかなかやらない演出だよ。
芝居『黒蜥蜴』だって、一幕から美輪明宏でてくるもん。
いいのか、こんなにもったいぶってて。団塊の世代って、気が長すぎる!!


と、思ってたら、第二部の語りを聞いていて、やっと意味がわかった。
びっくりだよ!! 加藤和彦という人は、とっくに亡くなっていたのだ!!!
そして、なんで精神科医がコンサートに出てるの? と不思議でたまらなかったお洒落な男性は、加藤和彦と一緒に「ザ・フォーク・クルセダーズ」として活動していた北山修さんという人だった!!
そういうことだったのかー!!
これはつまり、加藤和彦を偲び、フォークの時代を懐かしむコンサートだったのね。
誰も教えてくれないから、あたしひとりで加藤和彦が出てくるの心待ちにしちゃったよ!!


そして、後半の終わりごろに、さらにびっくりたまげることがおきた。
小室等さんという白髪の大物フォークシンガーが、ギターをつまびきながら
『イムジン河』という曲を歌いはじめたんだけど・・・
はじめて聞いたその歌の歌詞にびっくり!

北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を二つにわけてしまったの


朝鮮半島分断がテーマになっており、北朝鮮側の人間の気持ちになって、南側の故郷を思う気持ちを、日本語で歌っているというものなんだけど・・・
ひえー、戦後ってこんな反戦歌まであったのかあああ!
なんか、すんごい世界だなあ・・・・

と思って聞いていたら、
わたしの右の人も、左の人も、前も後も、そこに集まっていた聴衆全員が一緒になってこの曲を大声で歌いはじめるもんだから、もうめっちゃらくっちゃらにびっくらこきまろ!!

こ、こんなに歌いまくるほど、この曲、流行したのおお!?

ふ、ふうううう・・・。
ジェネレーションギャップって、自分より若い世代を見て感じるもののように思いがちだけど、自分がまだ生まれていない時代に対しても感じるんだよね。団塊の世代と自分とのギャップにぎょっとするほど衝撃を受けた昨日でありました。
びっくりびっくり。
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