憲法の「伝統」と、「人間の尊厳」

幻冬舎plusの4月分の連載原稿を仕上げて、

ライジングの連載原稿もいまやっと終了。

12時間以上、椅子に座ってる。走りたい。

明日は取材だからちょっと睡眠不足解消に寝ないと。

 

日曜日のゴー宣道場は、山元一慶應義塾大学教授による、
「比較憲法学」から見た日本国憲法の課題について。

基調講演がとてもわかりやすく、かつ「もっと知りたい」という

思いを掻き立てられる内容で、とても勉強になった。

事前にご用意くださったレジュメのおかげで、
頭の整理がつけやすくて集中もできた。

 

特に憲法の前文については、ほとんど暗記用ポエムのような
感覚を刷り込まれてきていた人間なので、

そこに「建国の体」を綴るために「日本の伝統とは!」という
話が論じられていくというお話には驚き、反射的に

「そりゃ困ったなあ・・・」

という気分に。

 

「せっかく憲法を制定するのだから」みたいな感覚で、

「日本とは、このように素晴らしく歴史ある国なのだあ!」って

スターウォーズのタイトルロールのような壮大な物語を描かないと
気が済まないような厳めしい方々がいらっしゃるんだろうけど、

伝統って、決して「これが決定版」として書き残せるようなこと

ではないし、

明治の時代に恣意的に作られた「しきたり」「掟」としての

“伝統のようなもの”がそのまま因習化して、
現代の人をタコツボに押し込めたり、
女性を苦しめたりしている現実を見れば、

その時その時代の風潮だけに支えられている感覚を、

「憲法の前文」として掲げてしまうなんて、
随分手前勝手な自己顕示欲でしかないんじゃないかと思える。

しかも、「前文、俺が書きたい」とか出て来る人もいそうだ。

 

やっぱり現憲法の第一章が天皇条項であるように、

憲法の中身、構成そのものによって、「建国の体」を表現する
ほうが自然なのでは・・・。

 

「個人」か「人」かという質問から派生した、

ドイツ基本法の「人間の尊厳の不可侵」という論点については、

哲学的な議論がそこに眠っていたのだと知り、
もっとこんな議論ができたらと思うものがあった。

ドイツはナチスの反省があるだろうから、絶対不可侵の考えが
かなり強いのかなと思うけれど、

小人症の人を投げ合うゲーム「小人投げ」についての議論は、
本当に深くて、いろんな人が思いを馳せながら話し合えるところ
だと思った。

小人投げが、人間の尊厳を損なう行為なのか、
はたまた、小人本人が自由意思で投げられ、それによって生計を
立てる場合はどうなのか。
個人と社会倫理のせめぎ合いについては、簡単には決着がつかない。

この点に関して書かれた論文をいくつか見つけたので、
いま読んでいるところだ。

 

日本国憲法においても「個人」「人」という言葉一つに、

こういった、思考力と、人の心が試される議論があって

然るべきだろうと思う。

 

日誌 | - | -

脳内タスク管理が…

毎日新聞出版の「ゴー宣〈憲法〉道場」のゲラが届いて、
確認がてら復習したところ。
今朝は、東京新聞の読者投書欄で「立憲主義が貫徹できる憲法が
必要だ」という投書を読んだ。
すでに形骸化している条項が列挙してあったので、手元の本で
条文を改めて確認、勉強しなおさせてもらった。

マラソンでいきなり42.195kmは走れないのと同じで、最初は、
「憲法って途方もないな」というイメージだけがあったけど、
強い関心を持って何度も反復していくうちに、自分なりの理解が
進んで、思考力と発言力が身についていくものなんだと思う。
8日の道場、そして、5月3日の拡大版道場、気合いれていこう。


ところで、小林先生は「おぼっちゃまくん」から「ゴー宣」まで、
どのように頭を切り替えて同時に回していらっしゃるんだろ…。

私は3つのまったくジャンルの違う本の仕事で、現在頭が完全に
こんがらがっていて、24時間、常になにかに焦ってる。
これをやりながら、あれとそれのことが気がかりになってきて、
予定を落としてないか、ダブルブッキングになってないか、
ずっと脳みそが小鹿のように小刻みに震えてる状態だ。

幻冬舎から出す本で、あちこちへ取材に行くことになっていて、
担当のSさんにその調整と下見をしてもらいながら、
東洋経済のまじめな本の原稿をせっせと書きつつ、
夜になると、美術系の出版社で新宿二丁目の取材に出る。

昨夜は、金子國義と瀧口修造の絵の撮影と取材だったんだけど、
デザイナーのNさんが、絵を眺めながら、
「いまの若い人達って、この絵を見て、金子國義ってわからない
んじゃないかなあ…」
と切ない顔でつぶやいていた。
たとえ画家の名前がわからなくても、あの絵を見れば
「あ、なにか怪しい本の表紙で見た」と思うものだという感覚が
あったけど、本も手に取ったことがない人が増えている現代だと、
そもそも「絵」というものに馴染みがないかもしれないな。


 

瀧口修造の絵は、ずっと「先代のママのために贈られたものだ」
と聞いてはいたけど、やっと実物を見た。
アンドレ・ブルトンの著名な小説「ナジャ」の絵と、自身の詩を
合わせたシュルレアリズムなコラージュ作品だった。
こんなお洒落なものを贈られる女になりたい…。

 

でも、現実の今の私は、賞賛よりカネが必要、と思ってる。
はー…超リアル。しかし必死で生計を立ててるとこうなるよ…。
さ、夕方も混乱しながら燃えるで。

日誌 | - | -

東洋経済オンライン

幻冬舎plusで連載中のオオカミ少女に気をつけろ、

「AIが暴走したって本当?」の回、

東洋経済オンラインでも読めるようになってます。

ほかの取材記事もいろいろ書いてますので

どうぞお楽しみください。

 

「AI同士の会話が大暴走した」ニュースの真実
「終わりの始まり」って本当ですか
http://toyokeizai.net/articles/-/214077

 

 

昨日はいつもお世話になっている編集チームで

ちょっとした慰労会があったのだけど、

大きな会社って焼肉ひとつでも雰囲気が違って

面白いなぁ。

誰がトングを持って焼く係に徹するか、

誰が人のグラスを気にして注文をとる役割をするか、

部下が上司を、上司が部下を、男性が女性を、

お互いに忖度しすぎて、

上司がひっくり返したばかりの肉を、

後輩がすぐさまひっくり返してしまったり、

後輩と上司が同時に人の皿に肉を乗せてしまったり、

肉が常に右往左往する様子がおかしかった。

 

泉美木蘭からのおしらせ | - | -

今年の桜

東京、暑し。
先週は雪が降っていたのに、今日は半袖で窓を開けて仕事。

うちは目黒川が近くにあって、この時期は花見の人々で
駅での電車の乗り降りが超絶困難だったり、
コンビニに鬼のようなトイレ行列ができていたり、
いつもの喫茶店が混雑で打ち合わせ場所に使えなくなったり
けっこうな勢い。
やっぱりみんな、桜が好きなんだなあと思う。私も好き。














急激に暖かくなったからなのか、すでに蚊が発生していて
ズームで見ると、去年と違って花弁のあちこちに蚊が寝てた。
それを避けていったら、このように撮れる部分が減っていった…。







もう「春」というより、日向は「初夏」なんだよね。







太陽を浴びて、力いっぱい伸びる緑のなかで
「まだ春なのよおー!」とがんばる桜。













カモが水浴びしている目黒川の水面には、







すでに散り始めた桜の花弁が流れ、

地上の桜のトンネルがうつりこんでいて

とっても綺麗だった。
カメラをさかさまにすると、






「モネ的、桜吹雪」 Photo by MOKUREN IZUMI

いやー、今年はこの1枚が撮れたのでもう満足です。

 

写真―趣味の撮影 | - | -

憲法21条と、放送法と、首相と会食

政府は、高市早苗「電波停止」発言の際に、国連報告者から

「放送法撤廃」の特別勧告を受けたとき、すぐ跳ねのけたのに、

どうしてそれをいま、急に180度ひっくり返しているのか?
 

タイミング的に、やっぱり、官邸批判を鎮めるための脅迫手段
に使っているのではと思えてしまう。

読売と産経が声高に「民放解体」という言葉を発信していると
なんだか逆にあやしく思えてしまうのは、

私の良くない感覚かな……。

 

安倍首相が特にゴリ押ししていると報じられているし、
これじゃ、放送局トップは、ますます首相と会食したがるのでは?

 

高市前総務相が、放送法第4条「政治的に公平であること」を

根拠にして「電波停止」の可能性について言及したときは、

政府が、放送法よりも上位にある

憲法第21条「表現の自由」を理解していなかった

という大問題が指摘されて物議をかもした。

 

「政府批判ばかりにかまけていたら、権力は憲法なんか

違反して、おまえたち放送局を取り潰すぞ」

 

という意味合いになっていたからだ。

数日前、専門家の方からこの放送法の件について指南を得て、

「法解釈次第で政治的介入が可能にもなるような放送法は

本来は撤廃して、業界自身の倫理規定と、第三者機関の

チェックでバランスを保つべきだ」
という考えがあると聞いたのだけれども、

やっぱり、「憲法」を無視して政治的介入が成り立つ法律が

あり得るのかどうか、疑問が残った。


アメリカでは同様の「フェアネスドクトリン」が撤廃されて
いると言う人もいるけど、
そもそもケーブルテレビ主流で多チャンネル化している国と、
電波方式で数が少なく、なおかつ新聞と連動している日本と
では状況が違うと思う。
急激に自由化を推進した時、権力とカネを持つ者にたちまち
掌握されてしまわないか、価値の順列崩壊もふくめて、
状況を慎重に考えたほうがよいのでは…。
 

放送法は、「法律」だから「恣意的な法解釈」による問題が
起きてしまうのだろうけど、あれを定めた理由は、
《放送は国民文化に多大な影響を与えるものだから、
どんな政党・政府・団体・個人からも支配されることなく
自由独立のものにしなければならない》

という原則からだ。

 

だから本来、放送局の経営陣は、首相から会食に誘われたら、

「政治的公平の原則が崩れていく可能性がありますから」

と言って放送法を盾にしてでも断らなければならなかったと思う。

でもそれが崩れた。
ここは、メディア側の問題だと思う。
メディアトップに、本来あるべき矜持が失われているということだ。
そこに、組織全体の「忖度」という弱点も絡んでいくのだと思う。

メディアにおける公平・公正は、
「権力を監視する役割を果たす」ということだ。
政権批判と政権擁護をバランス配分して放送することではない。
 

今回の「安倍政権ゴリ押しで放送法撤廃」が聞こえてくると、

ますます首相に媚びを売れ、という方向に進みやしないか、

「首相と会食」が起こす影響の計り知れなさに目を向けている。

 

政治・社会問題 | - | -

「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」

国家権力はなんでもするんだとよくわかった。
首相夫妻、官邸の関与だけは明確に否定しておきながら、
それ以外のことは一切の証言を拒否する。
虚偽の答弁をして国民を裏切り、
公文書を改ざんして国民を騙し、
それがバレても国民を裏切る証言をする。
国民が大注目している証人喚問という場に出された官僚が、
公の僕としてのふるまいを完全に捨てて、
ほんの一部の権力者の下僕となる。

日本国憲法 第15条
「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、
一部の奉仕者ではない」


しかし堂々と「一部の奉仕者」としてふるまってしまう、
そんな一部の権力者に対して、憲法は無力なのか??
憲法はなんのためにあるのか??

「森友問題なんかより北朝鮮、改憲論議!」
「改憲論議なんかより森友、加計、スパ!」

こんなマスコミ対立も起きている。
国内の権力の暴走も抑えられず、
海外への侵略戦争への加担も抑えられず、
そんな憲法でいいのか?
 

4月8日(日)14時からのゴー宣道場は、
まさにいま日本で起きている現象をテーマにして
議論します。

憲法学者である山元一慶應大学教授と、
立憲的改憲を唯一掲げる国会議員・山尾志桜里氏
ゲストにお招きした議論、
参加応募締め切りは、本日まで。

 

第71回ゴー宣道場

議論のテーマ「権力の腐敗と立憲主義」

平成30年4月8日(日)午後2時〜@東京大崎

https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=bbahns1fp-24#_24

日誌 | - | -

午後の証人喚問雑感

午後の証人喚問、一番手の自民党の冗長な尋問…というか
演説が寝不足の私にはつらすぎて、二番手の公明党が
「あなたの性格は?」
ってタレントへのインタビューみたいなことをはじめた
ところで、呆れてしまい、椅子の上で寝落ちしてしまった。
録画で全体見直したけど、午前の喚問でうろたえたところを
お昼食べながら補佐人と調整してきたって感じ。

あの補佐人は、甘利明や小渕優子などの大臣スキャンダルを
引き受けて来た弁護士だそうだ。

逢坂誠二議員が知人としての人情味あふれる言葉で
語りかけたところがハイライトだったけど、ダメだったね。

「私にはあなたが被害者に見える。自分の在任中に起きたこと
ではなく、前任の迫田さんの時代に行われたことなのに、
あなたが証人喚問を受けているのは理不尽だとは思わないか」

「その役職につけば、その職責を果たすのが役人の本分。
起きたことは前任の時代かもしれないが、その時に局長として
私が話を聞き、資料を読んだりして、それに基づいて答弁する
のが私の仕事。その時に問題があれば、それは私の責任」


あくまでも理財局とそのトップという役職にその時に
在任していた自分の責任であり、
連日連夜の質問に忙殺されて丁寧さを欠いた答弁をした、
国会の混乱をまねき、行政の信頼を失墜させ申し訳ない、
でも安倍夫妻からの影響はなかった、
なぜなかったかというと、当時そのような報告がトップの
私のところに上がってきていなかったからだ、
ただし、決裁文書のことについては証言拒否します、と。

午後のエクスキューズは、

「当時、私はそう思っていた」
「当時は、正しかったと思っていた」

という「当時の答弁」との整合性をとる受け答え。
それから、午前中の「私が勉強した中においては」の亜種で、

「局内で聞く中では、影響はなかった」
「去年の答弁にあたって、局内からの報告にそのような話は
なかった」

局内の話、当時の局内の資料では、という限定と、
その話や資料が正しいかどうかはわからない、という

核心は闇の中に沈めたままという証言。

昭恵夫人からの影響がなかったかどうかは、職員全員から
聞いたわけではないのに、なぜ「まったくなかった」と断言
できるのかと問われると、

「職員を信じている」

と答えた。つまり、信じるか信じないかの主観であって、
ファクトにもとづいているわけではない、ということだ。

あと、今回の証人喚問にあたって、政府や与党関係者から
接触はあったかと聞かれると、
「私は補佐人とだけ相談している」
と答えた。
その補佐人は、政府与党関係者と接触していないのかと
聞かれると、補佐人とごそごそと相談したあと、
「ないということです」。

でも、あの補佐人には偽証罪の縛りがないからね。
補佐人が「ない」と言うから「ない」と答えたのであって、
佐川氏は、補佐人を信じていて、それが正しいと思ったと
いう逃げ道が成立するもの。

あとはメディアの伝え方だな。
「まったくない」「一切ない」「関与はない」「影響ない」
という部分だけバシバシ流すところと、
エクスキューズを解説するところと。

日誌 | - | -

証言拒否とかみ合わなさ

午前中の佐川宣寿氏の証人喚問、
改ざんが起きた時期や、誰が誰にどう指示して行われたか、
いつ改ざん前の決裁文書を見たのかなどはすべて証言拒否
するのに、安倍夫妻と官邸の関与だけはビシッと否定。

ただ、この否定は、
「私が勉強した中においては」
とエクスキューズがついてたな。
実際に値引き交渉が行われた際の理財局長は前任の迫田氏で、
佐川氏は、問題が発覚してから文書や資料を読んで把握し、
部下から上がってきた答弁書を読み込んで答弁に立つという
役割なわけだから、「勉強した」ということになるわけだけど、
その、自分のもとに上げられた資料や答弁書が本当に正しいか
どうかには答えていないし、
当時は月曜から金曜まで国会対応のため、
「連日連夜、朝まで休むことのできない中、余裕がなく」、
《勉強しきれていない部分》があったんじゃないか?
という逃げ道あり。


あと、「昭恵夫人の関与がなかったとなぜ断言できるのか」
と聞かれたときも、
「自分の在任中は個別案件に関わることがなかったから…」
みたいなことを言って逃げようとして、完全に破綻してた。
昭恵夫人の関与があったかもしれない時期は、
佐川氏の在任中ではなく、迫田氏の在任中のことだというのは
人事の時系列で明らかになっているのだから、
この答え方だと、
「自分の在任中は関わってないから、
昭恵夫人の関与がなかったと断言することはできない」
という意味になる。

明確に昭恵夫人を守りながら、理財局の責任にして尻尾として
切られる方針のようだから、
質問の中にこまかいカラクリを仕掛けて、証言の齟齬を引き出す
しかないって感じ。仕掛けが細かすぎて、普通に聞いていたら
意味がわからないよな。
午後も見てみよう。

って、昨夜寝そびれて、もうショボショボして限界だけど、、、

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