時代と街並みとゲラチェック…

ずっと気になってたお腹がとうとうこらえきれないくらい痛くなって、もしかして来年ぐらいには死ぬのかな、好きなことしておいたほうがいいのかなとか気分が暗かったんだけど、検査結果はなんてことなくて、治療したら数日でたちまち良くなった。
病院ってすてき。

 

朝から二丁目本のゲラチェック。
もくじを見たら、よくこれだけ取材したなと自分を褒めたくなった。
いまの新宿二丁目は、観光に来た人のためのバーのような店も多いし、メディアに出る様子からも「新宿二丁目=ゲイの街」というイメージがすごく強いと思うけど、赤線廃止前の二丁目から街を見てきた人達に話を聞くと、もともとはそうじゃなかったんだよね。

 

もちろんゲイの店が多いというベースはあったけど、ゲイバーは数件しかなくて、「LGBT」という、人を規定して認識させる言葉もなかった。もっとごった煮のように、いろんな人が自由に往来する、猥雑なパワーのみなぎっていた場所だった、と。
時代の流れのなかで、「ここは、そういう街」という収束が起きていったのかもしれないね。今もそこそこおもしろい街だけど、昔のほうがおもしろかった、なんて言葉が何度も出た。二丁目に限らず、いろんな場所で同じようなことが起きているのかもしれない。

収束。規定。
うちの店は「そういう街」に収まっていく前からあったから、ちょっと変わった場所になったのかもしれない。

 

ゲラのメモ書きに、過日撮影したレコードジャケットにクレジットのキャプションをつけてくれとあって、撮るだけ撮ってなにもメモせず棚にもどしていた自分に愕然とする。南米から直接買ってきたようなものが多くて、ネット検索してもクレジットがちゃんと出てこないんだよ…。

 

レコードと言えば、もう何年前だか忘れたけど、まだあんまりブラジル音楽に詳しくない頃、店でかかって「超かっこいい!」と思って翌日すぐ買いに行ったのがこれだった。

 


JORGE BEN "AFRICA BRASIL"(1976)

 

今聞いてもかっこいいんだから、おばあちゃんになっても聞いてる気がする。

 

それから展覧会の導入文を書いてくれと頼まれて、8人の写真家の作品をじーっと見て、力いっぱい書いた。こういう文章だけ書いて生計が成り立つんだったらどんなに幸せでしょうか。あり得ないけど。

こんな感じで今夜も眠くなるまで仕事。明日も目が覚めたら仕事。

日誌 | - | -

選民意識と向学心

「選民意識」ってやっかいなものだね。
自分は特別に選ばれた人間なのだ、なにもわかっていない世の中の民とは違うのだ、というところから、気に食わない言動を排除したり、「自分の正義」を布教して他人を変えようとするところまでいってしまう。

そういうのは、一見、知的には見えても、「向学心」ではなくなっているのだろうと思う。知識欲があっても、自意識を高じさせるための知識だけを選んで吸収するようになったら、バランスを失ってしまう。
すべて正しいわけがない。
自分の意見がどこかに取り上げられたり、大勢に読まれる立場になったときは、同時にその場で間違いを晒したり、恥をかくこともあるんだということも引き受けなきゃならないと私は考えている。
それが個人の意見を表明するということだと思う。

そういう責任が希薄になってゆくと、人はどんどん弱くて脆い、守られる場所だけで物を言う存在になっていくのかなと思っている。

日誌 | - | -

#Metooの末路「5秒以上見つめるのは禁止」

#Metoo運動で告発者となった女性プロデューサーが所属するアメリカの動画配信会社「ネットフリックス」が、社内でのセクハラ防止ルールを定めたらしい。その内容がすごい。

 

「誰かを5秒以上見つめるのは禁止」
「長いハグはしない。長く触らない」
「異性とふざけない」
「一度断られたらデートに誘わない」
「同僚の電話番号を聞かない」

 

5秒ってどうやって定めたんだろうね。
実際に見つめてみて、どんな雰囲気になるのか地道に数多くの実験を重ねた結果、カウント4.99まではやらしい気分にならないものだと判明したのか。

 

私は、相手の話はまったく聞いてないけど、表情や立ち振る舞いの様子をじーっと見て「人ってこういう怒り方するんやなー」とか「完璧主義すぎて表情崩せん性格なんやなー」とか「あれっ、私に気がある?」とか勝手に思ってるタイプなんだけど、そういう人間観察しちゃいけないってことだから、働くことが不可能だ。


真面目な議論したいときも、5秒おきに全員視線をずらさないといけないんじゃ、身が入らないんじゃないの。

 

長いハグ、長く触るの禁止って、「長い短い」の感覚が受け手によっていちいち違うんだから、もう全面的に禁止にしたらってバカバカしくなるし、異性とふざけられないなんて、もう私には生きられない。
だって女って、ボケてんのかなと思ってツッコミ入れてあげたほうがいいんだろうなーと感じる場面でも、なんか気を遣って流したほうがよさそうな空気があったりするんだよ。なんだろね、あれ。

一度断られたらデートに誘わない、って、そりゃ執拗につきまとう迷惑行為には、きっぱり対処したいけど、気になっている人からのお誘いこそ、あえて一度は断ったりすること、あるでしょ。あんまり軽々しく応じる女に思われたくないなーって。ワンチャンスですべてを決定しなきゃいけないなんて酷すぎるよ。

こんな会社が日本にできませんように。

日誌 | - | -

『未来のイヴ』

ライジングで、人形作家の四谷シモンさんにふれたのだけど、そのシモンさんの初期代表作に『未来と過去のイヴ』という娼婦の人形のシリーズがあるんだよね。
並んだ12体は公表翌日に完売したそうで、そのうち「一番顔がいい」と言われている一体が、お世話になっている写真家の方の事務所にあってさ。
ライジングにも載せたんだけど、これがかっこよくて圧倒されちゃうんだよ。私より背が高くって。

 

 

この人形は、フランスのSF作家・リラダンの『未来のイヴ』という小説に出てくる「ハダリー」という人造人間がモチーフになっている(はず)。

 

『未来のイヴ』は、わざわざ歴史的仮名遣いで翻訳されていて、最初はすごく読みづらく感じるんだけど、全体のほとんどが一対一の哲学問答で構成されているので、その古い文体が雰囲気を醸し出して、のめり込んでしまうんだよね。

 

エワルドという高貴な青年が、ある美女に恋をするんだけど、この美女が、顔や肉体は最高に美しくて手放しがたいのに、知性も教養もなくて話が低俗で反吐がでそうな内面をしている……というわけで、そんな女に恋をしてしまったエワルドが幻滅のあまり自殺を考える(!)というすごい設定で物語がはじまる。

 

「ああ!誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!」

 

エワルドは、自分の悩みを発明王エディソンに相談し、次々と不満をぶちまける。

 

「何の権利あつて、あれほど美しい女が、天才を持たないのでせう!」
「あの女の接吻が私の心に呼びさますものは自殺への欲求のみです」

 

自分は高貴な人間なのだ、だから好きになる女も徹底して高貴なはずなのだという理想像に囚われて、容姿に心奪われた自分を認めることができず、あくまでも「完璧な女性」を追い求めて罵詈雑言の限りを尽くすエワルド。
すると、発明王エディソンが、その美しい醜女の「外面の美」を完全に写し取った人造人間ハダリーを創り、そしてエワルドは、その人造美女に感動的なほど恋をするという恐ろしい展開になっていく。
人間は自分の抱いた理想・幻想に恋をするのだ、だったらその理想を科学的に作り出しても同じことじゃないか、と。

 

強烈な科学万能主義批判が込められた作品なんだけど、こういう異常なねじ曲がり方と、ちょうど対をなす逆の方向へ異常にねじ曲がっているのが、「ミスコンは女性差別の集大成」だとか言っている過剰なフェミニズムのイデオロギーなんじゃないかな。

 

「女も男もあくまでも立派で素晴らしい内面だけを評価されなければならないのであって、容姿なんて愛でてはならないし、異性は容姿に惹きつけられてはならない」

 

やばいって。それ。

日誌 | - | -

不完全燃焼だけど

朝日新聞vs小川榮太郎の公判にまた行ってきたけど。
前回あふれるほどの傍聴人だったので、今回から東京地裁の一番大きな法廷で行われることになったんだけど、なんだか人気なくて、がら空きだった。
ゴー宣道場がこんな状態だったら、恐ろしくてたまらないわ、とか、めちゃくちゃ勝手なこと考えていた。
人気の問題じゃないか。
なんにしろ、次回はお盆をはさむから9月になるということだけど、もう朝日新聞が正しかったことが明らかになりすぎているし、その頃の情勢考えると、一体どうなっちゃうんだろうね。

 

不完全燃焼のまま裁判所を出て、近くのラーメン屋で香港麺をすすりながら「世間に流される人たち」「ネトウヨになる人、ならない人」について話し合った。腹立つぐらいまずいラーメンだったけど、議論は有意義でおもしろい結論が出た。
そして帰りの電車のなかで、やっぱり芸術論、文学論みたいなのってもっと必要なのかなというところに結び付いた。芸術家と偏執性シリーズ、もう少しつづけようかな。

 

写真はアンドレ・ブルトンの「ナジャ」。
パリで出会った奇天烈でシュールな女・ナジャが、どんどんブルトンの感性を刺激していくという不思議な自伝小説。
「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう」
(巖谷國士訳)という名文で終わる。

 

日誌 | - | -

今日のいろいろな展開

たいしたことないんだけど、ちょいと加療中のところがあって、今日が最後の診察だった。
医者から「数分で終わるし、それで治療終了だから」と言われていたので、福岡からの飛行機で羽田空港に降り立ち、その足でかなり気楽に病院へ立ち寄ったら、その最後の数分の治療ってのが、もーんのっっすごいあり得ない痛さでさ。久々に冷や汗かいたわよ。

「二時間で痛みも治まるから、帰ってちょっと休んでください」って言うので、一泊二日分の自分の荷物を両手で抱きかかえて傘さして、ほとんどすがりつくような中腰で歩いて帰宅してさ。
そのまま服も脱がずにベッドで丸まってたら、もー、痛みのあまり些細な記憶が全部憎たらしく思えてきて、地獄の釜の蓋が開いちゃいましたって感じで、人の悪口が腹の底からあふれ出て来る状態に。
いやあ、やっぱり健全な人間関係を築くためには、健康な肉体が大切なんだねえ…。
でも、ぐっすり眠って、目が覚めたら落ち着いたので、これからライジングの原稿。

 

 

博多にいる間に、新宿二丁目本の進行がどんどんドラマチックな方向に展開。
文字原稿は仕上がって、おおかたカバーデザインも出来上がって……というところで、店内から、金子國義画伯のものすごくいい絵のコピーがまた発見されちゃったの。
金子先生御用達だったからね、いろんなところにカジュアルに作品が使われてて、スタッフとしては別に当たり前の風景だと思ってたんだけど、編集者が見に来たら「えっ、これって!」みたいな発見が起きるという。

「コロタイプ」という最古の写真製版技法を使ったリトグラフに、金子先生が手彩色した作品なんだけど、これがあまりにもうちの店と結びついている絵で、ぜひ掲載したい、だけど元絵はとっくに売られてしまって所有者は行方知れず、ポジフィルムも残っていない! っていう話になっていて。
で、羽田で飛行機を降りて、スマホの電源を入れたら、Studio Kaneko さんから、元絵はないけれど、着彩前のモノクロのリトならアトリエで所有しているので、着彩技術のある方にお願いして復元するという手法がありますがチャレンジしませんか、というものすごい提案が展開していた。
そりゃチャレンジしたいですよね、今回、美術専門の出版社なんだから。
成功なるか? 興奮しちゃう。よみがえる金子國義。

ところでこんなに書いて大丈夫なのか。

日誌 | - | -

美術室での思い出

原稿の参考資料を探すためにネットで美術展の検索をしていたら、ある地方の美術館のホームページにものすごくよく知ってる絵の紹介が出ていて、驚いてその先の用事を忘れてしまった。

 

いまから25年前、高校生のとき、私は学校の美術の先生の絵のモデルをやっていて、放課後になると美術室の横に併設されている先生のアトリエに行って、そこで1時間ほど、当時出展予定だった大きな油彩につきあっていた。
その頃の絵が、2018年になってまた個展に出されるらしく、ポスターになって紹介されていたのだ。
しかも70代後半になった現在も、精力的に新作を描いておられるということもわかった。

 

もちろんヌードでもなんでもない、普通の写生モデルだけど、あれって、いま同じことをやったら、ものすごい大問題に発展しそうな要素があったかもしれない。
放課後、50代の男性美術教師のアトリエに、16歳の女子高生が一人で行って、ずっと二人きりでいて、じろじろ見られているわけだから。

 

授業では聞かないような、ずいぶん難しい話をたくさんしていた。
いつもちんぷんかんぷんな哲学書の話ばかりするので、自分も読んでみることになり、完全なるちんぷんかんぷんのまま
「ハイデッガーの『存在と時間』を読みました」
と言ったら、
「ナチスと融和していったことについて、きみはどう考えるのだね?」
と詰問されて、なにも答えられないでいたら、そこから延々とハイデッガー批判を聞かされて、こちらはモデルだから止まってなきゃいけないし、なにしろ高校生だし、だんだんと目を開けたまま眠る、みたいな境地を切り拓いていったことがあったような気がする。

 

絵具を開けるときに指先を切ってしまった先生が、ぷうっと皮膚の上に盛り上がっていく血液を見て、
「美しい赤だ……」

と、狂気じみたセリフを吐きながら、その血をキャンバスにのせる様子を、横でずっと見ていたりもした。その絵は、相当な傑作になって、後年、東京都現代美術館での展示会に出展されていた。
だから、「芸術家ってヤバいものなんだ」と、もうこの頃から理解していたんだと思う。

 

一般的には、女子高生への教育としては、危ない話だよね。
私にとっては、いい思い出にしかなってないんだけど。

 

高校卒業直前に、さっと描いてもらった横顔は、いまでもちゃんと額装して私の部屋にあります。

 

日誌 | - | -

ずっとファンキーな人たち

巨匠アトリエ探訪、サイケデリック・ポップアートの田名網敬一さん。
絵だけを見たら、とても80代の方が描いたとは思えない爆発ぶり。
ちょっと前、ルイ・ヴィトンのショーウインドーに田名網さんの作品がドカーンと置いてあって、すんごいなと思って見てた。

 

 

絵の展覧会って、いろんなタイプの人が集まるんだけど、田名網さんの展覧会は、めちゃくちゃかわいくておしゃれな美大生でいっぱいなんだよね。グラフィックデザイナーとか、スタイリッシュな人が多いのも特徴。
ご本人も超おもしろい。二丁目まわりの話を中心に、たくさん聞かせていただいた。過剰で、おもしろすぎて、笑いすぎた上に、これ書けませんよ、みたいな話が盛りだくさん。
今月も、海外での展覧会で大忙しだそうだ。

 

 

右が田名網さん、中央は最近つるませていただいているイラストレーターの岩崎トヨコさん。「全ブス連」と名乗って活動したり、世界的に著名になった写真のモデルだったり、黒澤映画に麻薬の売人の役で出ていたり、面白いお話がいっぱい詰まっていて、かなり好き。
みんなファンキー。私が一番普通なんです…。

日誌 | - | -

週刊SPA!創刊30周年イベント

中島岳志先生をゲストにお迎えしてのSPA!出張版ゴー宣道場「保守とリベラルの役割、そして立憲」、とても濃厚で面白い議論だった。
保守思想についての基本的なところ〜中級、上級の知識に至るまで、中島先生が次々とよどみなくお話下さるのでとても勉強になった。

右も左もこれまで「憲法」というものを、自分たちの陣営のアイデンティティと結び付けてしまい「勝った・負けた」の闘争にしか利用せず、まともに考えてこなかったツケが、いまの国民の憲法への無関心さという結果にも現れているのだと思う。

中島先生がおっしゃるように、そういった闘争を乗り越えたところへ進まなければならない、それが「立憲的改憲」。
自分たちで考えて、議論して練り上げていく、憲法への愛着を醸成する場のひとつとして、ゴー宣道場は機能しているのだと思うし、こういった場がもっと広がって欲しいと思う。
来週の九州ゴー宣道場も貴重な回だ。
中島先生、ありがとうございました。

 

それにしても週刊SPA!の創刊30周年イベントの場にいるなんて不思議な感じだった。
はじめてライターとして原稿料をいただいて仕事をしたのが、週刊SPA!だった。26歳だったかな、その頃出した本を持って、いきなり扶桑社へ営業に行って、そしてお土産に仕事もらって帰って…。
それからしばらく特集記事をやらせてもらって、くらたまさんの「だめんずうぉ〜か〜」のネタとして何度となく登場したりだったよ。


そう! それで「散々ろくでもないことばかり立て続いている木蘭さんが、ついに結婚したらしい!」みたいな感じでまた登場して、「やっぱり男を見極めないとね」なんて言いながら幸せ自慢したところで、終了したままだった…。もう、思い出すだけで頭が痛いわ。

しかしいま思うと、「セクハラ? なんじゃそら?」みたいな勢いで、ものすごく自由度の高い面白い記事をいっぱい書かせてもらっていた。
得難い体験ばかりで楽しかったけどなあ。
その頃にお仕事をいただいていた編集者の方のお一人が、編集長になっておられた。

あ、今週のライジングのネタを思いついた。

日誌 | - | -

また一年

たちまち1年。またここから1年だね。

誕生日のお祝いにってアンスリウムをいただいた。ありがとう。

もくれん植物園、がんばって育っております。

 

日誌 | - | -