草食系男子、干し草系男子が増えたのは・・・現実と乖離しすぎの自民党議員

今週のライジング「『政治分野の男女共同参画推進法』は必要」を読んで、自民党の男尊女卑議員らのひどい物言いに頭がくらくらしました。とくに西田昌司参院議員の発言。
 

「女性の社会進出で、社会全体が豊かになっているとは思えない。もっと根本的な議論をしてほしい」
 

「男女が違うから、認め合って引きつけ合って子供を作り、家庭を作り、次の世代ができて、社会が築かれる。この当たり前のことを大事にすべきだ。あまり同質化すると、お互いにないものを認め合って助け合うという意識は少なくなり、結婚や家庭を作らなくてもいい、となってしまう。こうした風潮は晩婚化の一因ではないか」


西田昌司議員は、以前、婚外子の相続権に関する議論のときに、地上波のテレビ番組で
 

「ちゃんとした家庭で、ちゃんとした子供を作るから、ちゃんとした日本人ができて、国力につながる」

というようなことを言って、婚外子を差別しまくった人です。
この理屈で言えば、彼にとっては、働く女性や、婚期を逃がした女性は、ちゃんとした女性ではないし、ちゃんとした日本人じゃないのでしょう。
ちなみに竹田恒泰氏も同じ立場で差別観を後押ししていました。

子供を作り、家庭を作り、次の世代ができて、社会が築かれる
というのはみんな知っているけれど、その当たり前のことが、いまの経済状況では、できなくなっているのが問題の根本なわけでしょう。
自分ひとりの食い扶持を築くので精一杯だと感じる若者が大勢いるのに、そこを無視して、いつまで時代錯誤なことを言っているの?


以前、ライジングでも生涯未婚男性の状況について取り上げたけど、

泉美木蘭のトンデモ見聞録 『男女不平等。僕らは結局稼ぎで選ばれる』
http://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1039228


国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査によると、18歳から34歳の未婚男女へのアンケートでは、9割近い男女が「結婚したい」と考えており、結婚した夫婦の理想的な子供の人数は「2人以上」と考えているという結果が出ています。
 

「夫婦にとっての理想的な子どもの人数は何人か」という質問には、「2人」が48.2%、「3人」が39.6%。
多くの人は、結婚して子供を2人か3人持ちたいと考えている、しかし、現実の出生率はその理想におよばない。

それはなぜなのかを、妻が30歳未満の夫婦に聞いてみると、

「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」 83.3%

 

これが圧倒的な理由なのです。

妻が産みたがらないのでも、妻が自分のために働くからでもないのです。


さらに、今年9月にまとめられた最新の調査を見てみました。
この調査の中では、若者の恋愛事情や性体験事情もデータとして明らかになっているから、みなさん見てみるとよいですよ。
調査では、未婚女性が
「結婚後の理想の形」と考えている生き方は、

「専業主婦」を望む人は年々減って、18.2%
「再就職」(結婚後、出産のため一時退職し、その後また働く)が34.6%
「両立」(結婚後、子供を生むが、仕事もつづける)が32.3%

ほとんどの人は、夫に養ってもらって生きていけるとは思っていません。
子供を産んで、生活や教育のためにお金が必要だろうから外に出て働いて、家事も子育てもやっていこうと考えている女性が7割近いのです。当然、彼女たちは納税もします。これ、女性のわがままですか?

ただただ「女なんか社会に出すな」というとんでもない男尊女卑感情を公共の場でまき散らしている自民党議員たち、もう少し現実の社会に生きる人々の姿をきちんと見てほしいです。


わたしは
「草食系男子」のブームが起きた時は、なんだか情けない男たちだなあという感想だけで見ていました。
傷つきたくないから戦いたくないってこと? 男らしくないなあ、と。
でも、最近は、あれは
日本社会に起きていく非婚現象の表出の最初の一歩だったのかもしれないと考えるようになりました。
男性にしてみれば、自分ひとりの生活だけでも大変で、貯金もあまり増えず、夢も持てない状態で、雇用形態も不安定かつ苛酷だとくれば、自己肯定感が薄まって、劣等感ばかりが募ってしまう人も多いのではと想像します。

 

「自分なんかにチャンスがあるわけない・・・」と。


自信喪失状態が慢性化してしまって、恋愛や結婚のレールには背を向けて自分から遠ざかることで自分をかばってしまうのかもしれません。
こういう言い方をしていいのかわかりませんが、女性に比べて、男性は、臆病な脆さを抱えてしまう性質があるように私には感じますから、こういった社会状況下では「草食系」「干し草系」(もう恋愛あきらめて悲観もしなくなった人のことだって)と言われるタイプの男子が増殖し、その一部が、たまたまお洒落で、メディアに取り上げられるというのも必然の現象なのかも、と。

さらに、自信喪失状態の慢性化は、自己承認欲求の肥大化現象とも繋がりのある心理状態だとも思います。

男尊女卑脳の議員たちは、恋愛から遠ざかっていく若者たち、とくに男性のことを、どう理解しているんでしょう。
女性が社会進出をやめれば、男性たちはどんどん結婚して子供を作ろうとするはずだと考えているのでしょうか。

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図書館の予約待ちが長すぎて・・・

どはーっ。やれやれ、年の瀬って感じよ・・・。
先月からきびしく財布をしめて、買い控えしている。
一旦《節約》の警告ランプが頭に灯ると、もう「Crazy for 節約♥」って感じで、某憲法学者さまのお名前が「小林節約」に見えるぐらい節約しか考えられなくなっちゃう性格なのよね・・・。
出かけるときも、「渋谷までバスで206円、電車は237円」なんて、31円の差に無駄に思いを馳せてしまっては、振りほどいてる始末です。

とにかく買わない。食品は、保存の鬼。野菜室は新聞紙にくるんだ塊で満杯。豆苗は、刈り取り3回戦に突入。


さすがに未発芽の豆が減って頼りないフォルムだけど、毎日、水をとりかえて
手塩にかけて伸ばしている。もう少しで中華スープの具だ。


合気道の稽古に行くときも、以前はコンビニでペットボトルのお茶を買っていたけど、いまは家でお茶を沸かして水筒だ。
水筒持ってるとほっとする。あったかいし。暴漢も殴れるし。

本もちょっと買い控えていた。
線を引いて時間をかけてじっくりと読むほうなので、本当は気になったのは全部買いたいのだけど、図書館を利用。
しかし、この図書館も、本を予約しても、予約待ち人数がやたらと多くて、なかなか順番が回ってこなくなってきた。
新刊や注目されている著者の本を選びがちなのかなと思っていたけど、やっぱりみんな節約して本を買わないのかな?
三浦瑠麗さんの本は15人待ち、
7月に出たケヴィン・ケリーのIT本は、4冊入ってるのに150人待ち、
ヴォルフガング・シュトレークの今年2月の本は2カ月待って14人待ち、
エマニュエル・トッドの本も2カ月待ってやっと29人待ちまでポジションが上がってきたけど・・・
半年も1年も待ってたら好奇心が冷めるし社会事情も変化してくるから、やっぱり本は買って読まないといけないな。

生活に追われると、すぐ本やニュースから遠のいてしまいがちになる。
気がついたらもうプーチン帰っていっちゃったよ。
「プーチンが温泉に入ったのは体のムキムキを見せるためらしい」とか
「メルケルが犬嫌いなので、交渉の席には必ず犬を横に座らせるらしい」

そんなちょっと焦り気味のなか、昨夜は、ある少人数の勉強会に参加して、憲法や、民主主義、表現の規制問題について現状報告を聞いたり、議論しながら専門家の方からレクチャーを受けたりした。勉強になってよかったし、生活に埋もれてついていけなくなりそうな所をまたエンジンふかすことができてよかった。

ところで、以前、もくれん座の創作朗読会で、相方として神様役などをやってくれていた俳優の高橋一路君が、ドラクエのCMに出ている。
声が聞こえてテレビのほうをふりかえったら、「キラーマシーンが好き」って真剣に不気味に語っていて笑った。パーソナリティと合致してて、知り合いとしては爆笑だ。朗読会にお越しいただいたことのある方は、注目してみてください。
それにしても、一路君、彼女いない歴まもなく12年目に入ると思うのだけど、大丈夫かいね。

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第60回ゴー宣道場:三浦瑠麗さんありがとうございました

昨日のゴー宣道場、三浦瑠麗さんにゲストでお越しいただき、その登場の余韻は、私の知るこれまでの道場のなかでも最大級だったのではと思います。

 


控え室にいらしたとき、まずは、「うわあ、やっぱり綺麗な方だなあ」と思いました。
テレビでのご発言や、著作の内容は、知識不足の私にとっては難しく、圧倒されているところが多かったのですが、お話をうかがっていくと、あくまでも「女性」として、またご自分の立ち位置からブレることないご意見を次々と聞かせてくださいました。

雅子妃殿下をめぐる諸問題に対する印象なども、目の前に見えるものをまずはご自分の感覚で受け取られているところが好印象で、三浦さんが言うところの「インスタントラーメンみたいな保守」の女性、つまり、男系男子論コピペ女性たちとはやはり違う、やわらかい想像力をお持ちの方なのだなと感じました。

大学の学費無償化に対する疑義を呈された場面では、やはり、生活困窮状態を経験した私にとっては、「それは一理あるとは思うけど、でも・・・」という感覚になりました。
多様な職種があり、職業に貴賤はありませんし、手に職を持ってうまくやっていける人はいると思いますが、やはり泥水をすするような思いをして子供を育てている友人の姿や、その子供たちがどのような精神状態なのかなどを思うと、なかなかきつい「正論」ではないかな・・・と。
「手に職をつけて独立しよう!」という文句で、やりがいの搾取をするようなブラック企業も横行する昨今です。

ほかにも、ブログに感想として書くよりも、あの場で、意見として三浦さんに言えれば、もっと議論が面白く深まったかもしれないと思うことがあるのですが、入っていけない私の力不足もあって、反省しています。

学費や貧困層の教育の問題、子供の貧困問題、生活保護についてなどは、また道場で議論することがあってもよいと思います。
やはり、社会的弱者に対する目線をどこまで深く広く持っているか、理解できているかという感覚は、皇室問題ともつながってくるところがあるように思います。

最後に、三浦さんから英語が飛び出して、
「ああ、ポリコレについて一本ライジングで書くほど勉強しといてよかったあ!」
と思ったこと、そして、別の知らない英語が飛び出して、話についていけなくなりかけて、このあと話を振られたらどうしようと思うあまり、司会の笹さんから目をそらしていた時間があったことを告白しておきます・・・・。

しかし、今回の余韻は、やはり本当に「上陸」「襲来」だったかも??

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雅子妃殿下のお誕生日

雅子妃殿下の笑顔が見られると、ほっと安心する気持ちになる。
ご公務や被災地へのご訪問の際、いつも、話している人の顔をじっと見つめて聞いておられる表情が印象的だ。
スーパー頭脳明晰な女性だから、集中力も高いのだろうし、ひとつひとつの場面から多くのことを感じ取っておられるのだろうなと想像する。

高森先生のブログで、過去にはお言葉そのものがなかった年もあったと知り、宮内庁のホームページで改めてこれまでをふりかえった。

体調についてのご報告で精一杯といったご様子の、胸の痛む時期が続いていたけれど、近年は愛子さまの様子から、国内外の情勢まで細やかに気配りされており、さすがだなと思った。

以前、ゴー宣道場で、笹さんと対談形式で雅子妃殿下のこと、結婚のこと出産のことなど女性目線で語り合ったことがあった。
いつも気丈な笹さんでさえ、胸に抱えるものがあったという話をして下さり、とても印象深かった。

環境ががらりと変わり、自分ではそれを受け入れていこうとしても、心身が思うようについていかなかったり、自分でも思いもよらない反応が起きてしまうことがある。
だけどそれは、環境に対するわがままや、こんなの理解できない、という拒絶感から起きるようなものではなくて、日々容赦なく訪れる困惑を処理しようと懸命に試みるあまり、


「なんとか自分を慣らしていかなきゃいけない」
「この困惑も理解していかなきゃいけない」
「受け入れよう。がんばろう。期待に応えよう」


という強い責任感と生真面目さが自分自身に降り積もってしまい、ついに重圧となって災いしてしまうものではないかと私は思っている。わがままだったら、「気を抜いて適当に」することができる。
でもそれを決して自身に許さない人がいるのだ。
ましてや皇室の方ならば、たとえ許したくても・・・と、想像できる。

気を病んだ人の多いいまの日本人は、そういうところを理解できる、というか、自分なりに実感している人も少なくないのではないかと思うけど、いまだに、そういった、人の心の強さと脆さの表裏一体が理解できず、必死に運命を背負ってみせようとする人の真価を信頼するということができずに、雅子妃殿下をただただ悪く言う、つまらない感性のおじさん達がいるようだ。

でも雅子妃殿下は、「ああ、やっぱりこの方でなければならなかったんだ」と思わされるような皇后陛下に必ずなられると私は思う。
つまらない感性のおじさん、略して、くそじじいと言う。
くそじじいなんか、しっ、しっ、だ。

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除夜の鐘中止現象のこと

近隣住民に配慮して、除夜の鐘をつくのを中止する寺が各地に現れているそうだ。

「音がうるさい」「興味がない」「自分は仏教じゃない」

自分は仏教じゃない、というのはポリティカル・コレクトネスだと思うが、108回ついている間に、寺に「いい加減にしろ」「いつまでやってるんだ」とクレームの電話が鳴りつづけるのだという。
寺も3年ほどは耐えたそうだが、今年は中止することにしました、と。
寺の周辺が住宅密集地になって、鐘と住宅の距離が近づきすぎてしまい、確かにその住宅にとっては「騒音」になってしまっているというケースもあるらしい。

ほとんどの人は、除夜の鐘と言えば「日本の風物詩」と考えると思うが、それを理解できずに中止に追い込むまで我を通す人が増えている現象は「民主主義という病い」なのだろうし、なにより寂しいことだなと思う。

子供のころ、祖母や両親と一緒に近くの観音寺で、鐘をついたことがあった。

大きくなると、寒さが億劫で寺までは行かなくなったが、年越しのテレビを見ながら、遠くから聞こえる除夜の鐘の音を聞いて、
一年の終わりを実感した。
父が、二階の窓をあけて、冷たくピンと張った大晦日の晩の空気を吸いながら、鐘の音の方角を眺める後姿も記憶している。
東京に出てきて、特に都心部に住むと、鐘の音はどこからも聞こえてこなくなった。
子どもの頃の体験があるので、除夜の鐘と聞けば「風物詩」としてスッと認識することができるが、こうして中止に追い込まれていくと、その回路を持てない人がどんどん増えてゆき、よほど巨大な敷地を持つ著名な寺のほかでは、除夜の鐘は廃れるのだと思う。

除夜の鐘中止現象は、保育園建設反対運動とも似ていると思う。
子供たちの遊ぶ姿が町なかで目に入らなくなり、理解することができず、保育園を「軍用基地かなにか」のような目で見てしまう。
「保育園落ちた日本死ね」があれだけの反響を呼んだのに、一方では、自分の生活の安泰だけに固執して、「なんでここに作るのか!」と文句を言う。
まもなく3軒に1軒が空き家になるような時期が訪れるとわかっているのに。
いびつな時代だ。

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近況

ところで、一カ月、ストレッチと筋トレとスクワット、続けられた!
そんな無理ないし、だんだんうっすらと腹筋がついてきたみたいで、
合気道でも動きやすくなってきた。
このぐらいのペースだったら続けられそう。



表につけていくと、週に1回ぐらい、とても身体を動かす気になれない
サボり日が巡ってくるというのも自分でよくわかった。
パターンがわかったので、3週目のサボり気分が来た日は、自分で
気合を入れてやるようにした。
気分がサボりたがってるだけで、身体のほうは動かせば気持ちよく
動くので、表をつけておいてよかったなと思った。
もちろん12月の新しいチェック表も印刷して、はじめたよ。

昨夜は、合気道がちょっとだけ役立つような出来事もあった。
なんといいますか・・・世知辛い世の中、師走になると、つい自分を
見失うほど酒を飲んでしまう人も増えるもので。
やれやれ。

バーって、わりと、格闘技職です。
 

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DDD団(男系男子大好き団)結成のご提案

生前退位に関する有識者会議ヒアリングの議事録などを通して、”男系男子固執”軍団の言説を改めて振り返ってみると、シナ父系制を源泉にする「タネとハタケ論」「男の血のリレー論」「神武天皇のY染色体論」……。
どれもこれも社会的地位のある学者が言うから、「活字」になって、いかにももっともらしい言説のように社会に流布されているけれども、実態は、男系血脈至上主義のカルト宗教じゃないですか。

女性を「子供を産ませるメス」ぐらいにしか考えておらず、女性が命をかけて立ち向かう妊娠出産の壮絶さをまるで無視して、ひたすら「男は男だから尊い」「男子が生まれるまで妃殿下には何度でも出産させるべき」とだけ言いたい人間たちの集まり。
キルギスの誘拐結婚や、ナイジェリアのボコ・ハラムの蛮行を知って、「こんなことが現代で行われているのか…!」なんて愕然とする日本人は大勢いると思うけど、「皇統は男系男子が絶対!」をふりかざす専門家らの頭の中も同じですから。

男系血脈至上主義の人たちは、一見アカデミックなふりをして、カルトな脳内を包み隠していますが、わかりづらいのでやめたほうが良いです。
主張の本筋は「俺は種をまくほうだから凄い」「俺、Y染色体持ちだぜ」なのですから、思い切ってそれをストレートに表現したほうが良いでしょう。
そして、本来は政府の有識者会議などに並ぶべきでない、社会的には白い眼で見られるような主張をする異様な集団なのですから、白人至上主義の秘密結社KKK団をオマージュした街宣活動はいかがでしょうか?

題して、


DDD(男系・男子・大好き)団



どうでしょう。
男系男子固執派のみなさん、本来の姿を取り戻しませんか?

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コムデギャルソン、川久保玲と新自由主義批判

おまえんち、オペラ座かよ!

…と。

ドナルド・トランプの自宅のことですよ。
きんっきらっきんの内装。黄金のローテーブルに置かれたあの燭台。

よっぽど広い部屋でないとローテーブルに燭台は置けませんよぉ?

あたしの部屋じゃ狭すぎて、火をともしたら上着の裾に引火する心配ばかりしてなきゃなんないわ。

 

さて。図書館でたまたまコムデギャルソンの本を見かけて借りてきた。

 

アンリミテッド:コム デ ギャルソン

 

デザイナーの川久保玲氏は私の尊敬する日本人女性だ。

昔は単にクリエイターとして、企業家として、その独創性と大胆さに目を見張り、仰ぐという感覚だったけれど、この数年、自分なりに世界の動向を眺めながら、新自由主義やグローバリズムを勉強してみて、その歪さに批判的な感覚を持つようになってからは、ますます、川久保玲氏の発言の意味や重要性が深くわかるようになってきた。

 

ファッションデザイナーである前に、社会動向を精細に把握し、一貫して《現代に必要な自主独立の精神とはなにか》を表現してきた人だとよくわかったからだ。

 

むかしは、クリエイターなんてのは、王様など富を持つ貴族層に雇われて、「お気に召すものを作って差し上げる」ことで文化を形成する存在だった。

ところが社会が変化して「チャンスの平等」が生まれ、一般庶民・国民でも、事業によって富を得て上流階級になるチャンスを持てるようになった。

成功した人々や、国家全体が安定した国の国民は、一定の教養を持つことができ、優れた芸術を愛でる目も養われて、文化を充実させてきた。

……ところが今度は、その富を得た人々のなかで、異常に蓄財して富を独占する人々が現れるようになった。

「私設の王様」みたいなものの誕生だ。

これによって世界が「一部の勝者」「大勢の敗者」に分断されてしまった。

 

この「一部の勝者」に有利な体制が、新自由主義型経済だ。

市場で勝つためにひたすら利益追求だけを考えて安く大量に作り、各国各地の一等地を陣取って売りさばく。利益のために賃金の安い海外の労働者を使う。

しかし、買わなくてももう十分なほど、安くモノが溢れている。

じゃあ、もっともっと安くするしかない。

結果、市井の人々が働き口を失い、食い扶持を失い、弱者の立場に置かれて、モノが溢れていても、それを買えないという貧困世帯が生まれていく。

 

勝者になるために、なんとかして勝者とのコネを作ろうと躍起になって彷徨う人々も大勢現れる。詐欺まがいの起業家セミナーや、自己啓発本の大流行現象がそれだ。

自己啓発本なんか、読んだ自分を恥じつつ、燃やして奮起するぐらいになったほうがいいのにと個人的には思うけど。火力発電所に集めてエネルギー源にしたらどうよ?

 

…で、この新自由主義は、文化を潰していく。

ファッションの世界では、資金力があり大規模展開する企業ほど「安く安く」を基準に生産販売してしまうから、人々は「安くてみんなと同じ服」ばかり買うようになる。

こうなると、デザイナーも生き残るために「一部の勝者」である資金力のある企業にすり寄るしかなくなる。

ユニクロやH&Mなどが、一流のファッションデザイナーとコラボする現象が、まさにそれだ。洋服が好きな消費者としては嬉しい感覚もあるが、あれは恐ろしい現象だという目線も持つバランス感覚を保っておいたほうがよい。

ファッションが、資金力のある勝者の意見に従うものになり、貧しく潰れていく、その徴候のひとつなのだ。

 

他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。
現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきた風潮に危惧を
感じ

ます(川久保玲)

 

この言葉は、単にクリエイションをしている人々の創造性に向かっての言葉ではなく、新自由主義を推し進める社会の中で「敗者の根性」を叩き込まれ、一部の勝者に飼い慣らされていく人々全体に向けられた視線なのだ。

 

一番困るのは、いろいろな考え方が一つにまとまって、

それが正しいとされてしまうことですね。それぞれの目的とか

考えがあるわけですから、いろいろなものが連立してそれぞれ

の価値が生かされるということを、作る人も消費する人もわか

っていないと、一時的に一つの方向に行って、それがなくなっ

たら次っていうふうに全員が動いてしまう。

でも、みんなスパンが短いですよね。(川久保玲)

 

10年以上前のインタビューのなかでの言葉だが、完全に現代の社会現象の危うさを突いていると思う。

単に「人は流行ものが好きだよね」という次元を超えて、企業もメディアもSNSにはまる人々も、一時的な熱狂に魚群のように突っ込み、そして、また次の熱狂に向かって一斉に「右向け右」状態だ。

 

新自由主義なんて、やめたところで国家沈没するような至上最高の主義ではないと思う。政府の戦略ひとつで切り替えてられるものだし…。

ところが、「現状を打ち破ろうという意欲を失っている」こと。

それが政治離れを産み、現状の“ヤバさ”の認識不足を産み、やがて独裁状態の推進を”いつのまにか後押し”してしまうことにもなるよね。

 

まさかコムデギャルソンの本で、こんなブログを書くことになるとは思わなかった。川久保玲が凄いからなんだけど。ランウェイの写真を見て「はぁ♥ こんなの着てみたい♥」つって終わると思っていたのになあ。

 

 

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『萌え』考

昨夜は小林よしのり先生との生放送前に、最近のアイドルの話をしていて「男がどうしても騙されてしまう女の子の笑顔」というものがあるらしく、その笑顔が披露されているという動画を見ながら「これ、これだよ!」と教わったのだけど、目を細めてくしゃくしゃっと子供っぽく笑うその笑顔、私には、

 

「全然笑ってないけど、無邪気さを強調した笑顔を作ったとき」

 

という表情に見えてしまい、理解が難しかった。

私が汚れているからなんだと思う。

しかも、むかーし、この系統の笑顔で、お金持ちのおじさまに「きみはこの世界には似合わないよ」なんてかわいがられて、愛人になり、とっととキャバ嬢を辞めた女の子を知っているからだと思う。

 

庇護欲を掻き立てるのかなあ。

潤んだまんまるの瞳の子猫に下からじーっと見つめられて、思わず

「はーーーーーっ、かわいーーーーー♥♥♥」

って抱き上げて持ち帰りたくなることあるけど、ああいう感覚だろうか?

それで騙されて飼ってみたら、案外爪が鋭いわ、抜け毛で目が痒いわのてんてこ舞い、みたいなこと?

 

でも騙されたとしても、関係が破たんするまで騙されていれば、それって成立してるんだから別にいいんじゃないかな。ぞっこんのあまり人に迷惑かかるレベルに至らしめるのがだめってことかな。わからないけど。

以前は、そういう女の行動に手厳しく意見する気持ちがあったんだけど、このごろ年齢も年齢だし、ジェラシー燃やしてるみたいでみっともないな、と考えるようになり、かわいいからいいじゃないと思うようになった。

 

小林先生がブログで書かれていた「まりっか17」を勧めたら泉美さんの反応 については・・・

 

「まりっか17」はかわいい! ほんとかわいい!

たまたま自分で見つけたとしても好きになってただろうなーと思うし、「白熊バージョン」も見た。「まりっくま」は、ちょっとだるそうな表情に、大きめの動きと、たまに見せるキメ顔がかなりおもしろい。
着ぐるみでの動きの見え方を研究したんだろうなあ。

 

でもなんでしょね、小林先生がものすごく大騒ぎで推しておられるからなんとなく興味半分で見てみた、その油断した状況に食らわされた、最初の衝撃の瞬間?


「こ、これがうわさの『萌えーーーー』なのか・・・!!」


活字を通して想像していた先生の心のなかの『萌え』を、実際の映像で覗き見てしまったような、そんな衝撃?

そう、あれは、『萌え』のリアルを知った衝撃です。

そんな衝撃を受けた私も、まりっかに萌えちゃうんだけど。

それもこれも、まりっかが独特の才能を発揮しまくっているからで、つまりは、まりっかのかわいさが罪なのね。

 

って、私なんでこんなまりっかに取り入ってるんだ・・・。

 

 

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アマゾンと野菜と豆苗のこと

アマゾンが、東京、神奈川、大阪、千葉、兵庫の一部で

注文から1時間以内で配達するサービスを開始、と。

 

 

配送時間は朝6時から深夜1時までだって。

なんだかまたいろんなものが潰されていきそうな話だ。

そんなに急いで持ってこなくても大丈夫なんだけどなあ…。

便利な時ももちろんあるんだろうけど、

不便であきらめる余裕も残しておいてほしいな。

 

 

そのアマゾン、いまボジョレー・ヌーヴォーを予約しておけば、解禁日の深夜0時以降にすぐ配達します、とかテレビで宣伝していたけど、ボジョレーなんか酸っぱいだけで美味しいと思ったこと一度もないし、「うーん、ボジョレーはやっぱりうまいね」とか言いながら飲んでいる男の人に出くわすと、気を遣わなきゃならなくなるから、もういい加減、むりやりお祭りにして販売するのはやめてほしいです。

 

しかし、野菜が高くて参っちゃうよ。

レタスは手に取る気もおきない値段だし、水菜がめずらしく通常価格だと思って手に取ろうとしたら、痩せ気味でいつもの半分しか束が入っておらず、やたら割高に思えて棚に戻した。

鶏肉、豚肉のほうが安いもんね。

かと言って生野菜やめて肉ばっかり買ってきて冷凍して食べてたら、貧困アメリカ人みたいになってしまう。うちは消費量が少ないから、割引の時間帯に袋詰めのカット野菜を買うほうが得かもしれない。

 

あとは、豆苗の2回戦。

刈り取ってから、根元のところを洗ってもう一度芽を伸ばすんだけど、あれ、もう少し太くて健康そうな苗にできたらなあ。なんだかひょろひょろと髭みたいに伸びてしまって、いつも、「食べても元気出なさそうだなー」とか思いながら収穫している。外に出したほうがいいのかな?

 

キノコはいつも通りで助かる。

んっ・・・キノコも「笹きのこ農園」を参考にすれば自家栽培に??

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