なんで石野卓球まで潰すの?

ピエール瀧の逮捕で、「ええ〜っ、まじですか〜!」となって、
昨日はYoutubeで「電気グルーヴ」のPVをガンガン見たりして、
この曲なつかしいなあとか思いながら、普通に「電気」の世界を
それはそれとして楽しんだ30代、40代は私だけじゃないと思うんですけど。

 

ソニーミュージックによれば、なんと電気グルーヴの音楽作品は、
出荷停止、店頭在庫回収、音源・映像のデジタル配信も停止とな。
しかも、相方の石野卓球個人のイベント出演まで中止になってるし。
ピエール瀧が逮捕なんじゃ、「電気グルーヴ」としてのライブが
中止になるのはわかるけど、卓球まで潰して作品排除するなんて
おかしいんじゃないの。

 

これ別に薬物犯罪を擁護するつもりで言ってるんじゃないですよ。

だったらカルロス・ゴーン逮捕で、日産車回収でもしてくれよって感じ。

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安部公房「砂の女」

きのう夜中に目が覚めて眠れなくなってしまって、
人から借りっぱなしにしていた安部公房『砂の女』の映画版を
ぼやっと見はじめたら、素晴らしかった。

 


小説のほうは、以前読んですっかり圧倒されてしまって、
わざわざ古書店で函入のハードカバー版も買って、棚に並べて
いるくらいなんだけど。

 

朝目覚めると、裸の女が砂をかぶって彫像のようになって
眠っているという衝撃的なシーンが序盤にあるのだけど、
小説の中ではぼんやりと想像していた姿が、映画では、
裸体の岸田今日子によってザザーーンと再現されていて、
そこから一気に砂の世界に飲み込まれるようだった。

 

欲情を知らせる伏線が序盤から時折はさまれていて、
ずぶずぶと最初の性行為に耽溺していくシーン、
その後の逃亡を企てながら戦略的に女を抱くシーン、
部落の男たちにはやし立てられながら狂った状態で女を追い回し、
「なによ色気違いじゃあるまいし!」と拒否されるシーン、
どれも男と女の精神状態が流動していて、常に関係性が不安定
なのだけど、砂の中で同化していくという人間の複雑さが
たまらない。

 

見終わって、小説のほうをぱらぱらと読み直しながら、
ふと、こういう小説は女には書けないかも……と思った。
明確にこういう理由で、とは説明できないし、
もちろんこれは「安部公房」の世界なんだけどね。

言うまでもないけど「男女の優劣」の話でもなくて。

 

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「ツイッターよ、さようなら。憂うつで虚しい退会記」

幻冬舎plusでの連載「オオカミ少女に気をつけろ!」
SNSにはまっていった痛い体験談final、
ついにあんなにはまって、半ガガ人にまでなっていた
ツイッターをやめるという顛末記です。

 

「ツイッターよ、さようなら。憂うつで虚しい退会記」
https://www.gentosha.jp/article/12458/

 

このシリーズはとても好評だったらしくて、
新しい記事を出すと、過去のものも一緒にアクセス数が
伸びて読まれているということなので、また番外編で
「タンブラー編」「フェイスブック編」「インスタ編」
「ライン編」と書くつもりです。

 

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性的消費ってなんやねん

「モデルをズリネタにした」と発言したら、
性暴力だったり、性的消費になったりするんだと。
レイプしたわけでもないのに、意味がわからんわ。
美大生時代の会田誠さんが、惚れたモデルに対する
ひそやかな経験を、会田さんらしく口にしただけやろ??

 

だいたい画家や写真家は、いいなと思ったモデルを、
自分の中にある理想美に従って、そこに近づけるべく
創造性を発揮して描いたり補ったりするものじゃないか。
エロスも含めて理想や魅力を探索するのが創作行為だし、
それに、ヌードモデルを「ただありのままに再現」したら、
たいがい幻滅するものにしかならないんだよ!
こう言ったら、「モデルへの冒涜」かいね?

 

そして「性的消費」ってなんやねん。
「まったく何の色気も感じない」と言うのが正解なのかい?
ほんま意味がわからんわ。

かまととぶりっこでバッシングすんなっての。腹立つ。

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生田耕作の本

 


『<芸術>なぜ悪い「バイロス画集事件」顛末記録』
1981年 奢覇都館

 

1979年、奢覇都館(サバト館)が刊行した、
画家フランツ・フォン・バイロスの画集を書店で見た主婦が、
「わいせつだ」「青少年に見せられない」
と神奈川県警に訴え、出版社がわいせつ図画販売容疑で摘発
される事件があった。

 

出版社は「わいせつではなく芸術、芸術なぜ悪い」の議論を
巻き起こし、結果、出版社が勝つのだけど、
この冊子は、その当時の雑誌上での議論や対談、事件を報じる
新聞・週刊誌記事などを一冊にまとめたもので、今読んでも
その論点や、争点が大変深くて勉強になる。

 

バイロスの作品は超緻密で繊細なペン画・銅版画の天才で、

優美で華麗な装飾と、淑女の享楽の世界の合わせ技にうっとり

して見入ってしまう作品ばかりだ。

 

性器がそのまま描かれていたり、貴婦人たちのあられもない
享楽的な姿が、「わいせつ!」と思われたようだけど、
このすごいタッチの絵を、丁寧に作られた画集で見て、
「作品」と受け取れずに「訴える」なんて…
「そういう時代があったのね」と思いきや、現在もほぼ変わら
ないことがたびたび起きる。

 

 

バイロスを日本に紹介して画集を刊行し、言論で戦ったのは、
当時京都大学仏文科教授だったフランス文学者の生田耕作と
いう人物だ。


私はある人に「これ生田耕作」と教わって、その翻訳の良さに

魅了されて、サバト館の本を知り、で、あとになって、

「二見書房のバタイユ翻訳してる人じゃん!」

と気が付いて、たちまち収集するようになってしまったのだけど、

文章と文字と紙と挿画への愛に溢れまくっている素敵な本ばかりだ。

 



 

『初稿 眼球譚』と『マダム・エドワルダ』の大型本。
挿画・装丁は金子國義。
二見書房の「バタイユ著作集」に収められているものとは、
同じ生田翻訳でも文章が違っている。

生田耕作は、ただフランス語を日本語にして整形する翻訳では
なくて、いかに文学的な味や著者の息づかい、筆のリズムを
伝えるかにこだわった翻訳家だったようで、
何度も何度も同じ作品を改稿していたりする。

 

金子さんのアトリエで、すでに刊行された本に、生田耕作本人が

赤字を入れたという本を見せてもらったんだけど、
全編にわたって、ちょっとした会話の語尾、言葉の切り方、
句読点のリズムなどがどこまでもどこまでも校正されていて、
そのこだわり方、決して完成しないものを追い求める様子に
圧倒されてしまった。

 

勝ち名乗りすごい。

 

でもこの事件で生田耕作は、京大教授を辞めたんだよね。
まったく理解のない大学と、学者たちに辟易したんだと。

 

※生田耕作が翻訳しているのは基本的に「異端文学」だから、読んでみて「作風を知らなかった」からと言って、「環境型セクハラ」で人を訴えてはいけません。

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金子國義邸にて

午後から時間が空いたので、画家の金子國義邸へ遊びに行ってきた。
金子先生にお線香をさしあげて、貴重本の積み上がった書棚を見ていたら、養子の金子修くんがあれこれ出してくれて、珍しいフランスの画集や、翻訳本を見せてくれた。

 

 

修くんてのは、もともと大阪で土方をしていたんだけど、たまたま展覧会で大阪に来ていた金子先生とバーで知り合い、金子先生が一目惚れ。
その場でスケッチしたり写真を撮りまくったりして、そして、そのままモデル兼運転手となって縁もゆかりもない東京へやってきて、金子邸に住み込んで画家助手となり、古今東西の芸術を教え込まれて、金子作品のすべてを把握し、最終的に養子になり、そして喪主になったという奇妙な人生を送っている人だ。
切れ長の目で日焼けして引き締まった体は、そのまま金子作品に登場する「若い男性」として数多く描かれている。

 

 

金子邸で同居することになるや、髪を切られて、服装やズボンのすそ幅、スカーフまですべて先生指定のものを身に着けることが義務付けられたらしい。
話を聞いている分にはめちゃくちゃ面白いけど、本人は大変だったろうなあ。
でも美術や文学、映画、建築にいたるまであらゆる教養があって、いろんなことを教えてくれるので、私にとって貴重な知人だ。

 

アトリエのラジカセにカセットテープがセットされたままだったので、スイッチを入れてみると、山田五十鈴の声が聞こえてきた。
どうやら昔の映画の音声だけを録音したもののようだった。
全部は聞いてないけど、たぶん幸田文原作の『流れる』だった。

 

あとで修くんに聞くと、絵を描き始めるまでの空白の時間は、いつも映画を録音した音声を聞いて、空想していたのだそうだ。
そのほうが頭のなかの絵が空っぽになるらしい。
いざ決まって描き始めると、ソウルとかジャズとか楽しい音楽に切り替えていたようで、そういう音楽もたくさんあった。

 

なんとなく書棚から引っ張り出した藤田嗣治の画集のなかに、何枚か付箋がつけられていた。
猫を抱いた少女の絵や、猫単体の絵だった。
ああ〜、なるほど〜。そういえば金子作品に、猫を抱いた少年の版画があったよなあ。藤田からインスピレーションを得たと言われたら、まったく合点がいく作風なのだった。

 

藤田嗣治は、ジャン・コクトーが日本へ来た時に案内役をしたそうなんだけど、吉原遊郭へ行ってみたら、女郎が白塗りで格子窓の向こうから手招きする姿が「怖すぎる」とコクトーが言うのですぐ引き返すことになり、しかし、その後に鑑賞した歌舞伎では『連獅子』に感動して、着想を得て、『美女と野獣』を撮ることに繋がったんだって。
野獣のあのモサモサ感は、連獅子だったんだ。


ほかにもいろいろ面白い話を聞いて、収穫が多かった。

テーブルの上に、ケネス・クラークという美術史家の名著が置いてあったので、ガン見してたら、くれた。
本くれる人は、いい人だ。

 

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幻冬舎Plus ついにガガ様に手を出した私

ゴー宣道場のブログばかり書いて、
こっちのブログに転送するのをずっと忘れてた。

幻冬舎Plusの連載「オオカミ少女に気をつけろ」、
私の痛いツイッター体験談シリーズ、驚愕の新展開編が
配信になりました。
担当編集者のSさんが、後半の「レディ・ガガ」の辺りから
笑いが止まらなくなったみたいで、そして、このシリーズを
書き始めてから、めちゃくちゃ長い感想メールが届くように
なった。

なんだかますますいろんな自分のトンチンカンさを思い出し、
「もっと書いてやるぜ」的な感覚になってます。
どうぞお楽しみください。でも薄ら怖いぞ。

https://www.gentosha.jp/article/12237/

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オオカミ少女に気をつけろ「ツイッターにはまった体験記」

年末のいろいろで休載していた「オオカミ少女に気をつけろ!」
新しい記事が配信になりました。
今回は、前回の『ミクシィ』につづいて、10年前『ツイッター』
出始めのころに登録し、たちまちのうちにハマっていった私の
イターーーイ体験記、前編です。
どうぞ!

 

幻冬舎Plus「オオカミ少女に気をつけろ!」
SNSにはまっていった私のイタい体験記(2)
https://www.gentosha.jp/article/12044/

 

昨年は、4月11日の記事『世界中で研究“オオカミに育てられた子”
の実記は嘘だった…(その1)』が、幻冬舎Plusでの一年間の
全記事のPV数ランキングで第3位だったんだって。
くやしー、1位とりたい。

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膨大過ぎる日記と書斎の本

ブログやMLでいただいたお気遣いの言葉に感謝します。

 

急なことで新幹線に乗ってしまったので、
正月に読もうと思っていた本もほったらかし。
父の残した超膨大な日記ばかり読んでいる。
いま読んでいるのは、新居に引越す直前からはじまるもので、
約12年分だけど、すごく寡黙な人だったから、
こんなに毎日書きたいことがあったのかと驚いた。

 

数年前に父と二人で出雲大社へ旅行に行った時のことも、
さまざまな場面における、娘のかなり風変わりな言動について、
父のすごく冷静な心のツッコミが逐一記されていて参った。
みやげ物屋で、みりん干しを何枚か買い、蒲鉾も買おうとして、
取りやめたことまで書かれていた。
母が読んでくれと言うので、読み上げていったら、なんだか
大爆笑の正月になった。

 

父は10年程前からSNSの日記サービスを使って書いていたので、
ネットに漂わせておくのでなく、印刷して保存したいと思い、
ブログの製本サービスに申し込んでみた。
週刊誌サイズの冊子で最大値の480ページに割り付けて、
全20巻以上になるらしい。

 

たびたび「本に囲まれていると心が落ち着く」と書かれており、
私が書斎をのぞきに来るたび、
「娘は書棚の上の段に並ぶ立派そうな本には遠慮するらしく、
眺めるだけ眺めて、目の高さにある講談社現代新書ばかり持って
いく。読んでちゃんと保管するなら持っていけばいいのになあ」
とあった。言ってくれたらよかったのになあ。

 

年末、なんとなく興味を持ってデュルケムの「社会分業論」上巻
を読みかけていて、下巻までたどり着けるだろうかと思っていた
のだけど、父の書斎の上の段に函入りの単行本があったし、
他の著作も並んでいたのでごっそり持って帰ることにした。
父はどうもレヴィ・ストロースと構造主義について研究していた
時期があるようだ。あとは、武士に関する様々な研究本と、
世界各地の民俗や宗教に関する本がすこぶる多い。
すごく気になるけど、また今度だな。

 

弟がきちんと喪主をつとめてくれたので、現実の部分は女の姉が
やらねばならんと、年末は母のために役所やら銀行やら解約やら
名義変更やらさまざまな手続きに奔走した。
インターネットで有料会員登録しているものなどがたくさんあった
が、父はすべて一冊のノートにIDや契約内容を書いてまとめてくれ
てあった。
母は64歳にして人生初の一人暮らしになるので、不安そうだ。

父はもともと看取ってもらうつもりで、一回り若い母と結婚した
らしいので、満足しているはずだと母は言っている。
しばらく、三重と東京の往復になりそう。

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立派な父でした

一昨日の夜はびゅうびゅうと音を立てて暴風が吹き荒れ、
昨夜は一時的に大雪が降り、車の屋根がまるで粉砂糖をふった
パウンドケーキのようになっていたが、今朝の朝日に照らされて
とけてしまった。

 

25日のクリスマスの朝、かなり慌てた様子の母から、
父が倒れて危篤だと電話があり、すぐさま家を出たのだけれど、
最寄り駅から地下鉄に乗り、2駅目の乗り換えホームに着いた
ところで2回目の電話があり、亡くなったと聞かされた。
驚きすぎて「えっ、早い」としか言えなかった。
対面したのは葬儀場の安置室だった。

 

4日前に冬休み前の最終講義があり、大学の職員の方とは
「先生、来年もよろしくお願いします」「はい、よろしく」
なんて会話をしていたそうだ。
倒れる前日まで普通に自宅で元気に生活して、母の料理と、
大好きなお酒を楽しんでいた。

 

倒れて救急隊の方がやってきたとき、持病はあるかと質問され、
母が「糖尿病、痛風、リウマチ」と把握していた病名を告げると、
父が「まだあります。肝硬変と、それが原因の食道静脈瘤で吐血
しました」と付け加えたので、母は仰天したらしい。
父は、死ぬほどの病気を持っていたことを母にすっかり隠して、
死ぬまで普通に講義をして普通に生活していたのだ。

 

もちろん肝硬変は、生涯絶対断酒になる病気であるから、
それを告げたらもう好きなお酒を飲ませてもらえなくなるという
のもあったのだと思う。
生前の口癖は、
「食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、吸いたいもの
を吸って死ねたらそれでいいじゃないか」
だった。
父は外食はしないので、食べたいものというのは、母の料理だ。

 

リビングの父の定位置には、父のたばこがおいてあった。
父は自己管理するために、たばこに付箋と鉛筆を添えて、吸った
時刻をすべて記録していたのだが、最後の一本は、倒れる直前の
時刻になっていた。

 

父がいなくなった部屋の隅には、口を固く縛ったゴミ袋が置かれて
いた。
持ち上げるとずっしりと重い。中をのぞくと、それは、大量の血を
吸ったバスタオルや衣類だった。
父は自室で大量に吐血したあと、これから死ぬというときに、
それを母に見せたり掃除させたりしないように、
なんと自分で拭き掃除して、着替え、汚れたものを一つにまとめて
いたのだ。
父の使っていたトイレをのぞくと、やはり掃除した形跡があった。

 

父は家族にまったく迷惑をかけなかった。
元気に暮らして、そして最期は自分で始末して、きちんと原因を
説明して、たちまちのうちに逝ってしまった。

 

あまりに突然のことで、呆然としたままだったが、
最後まで教鞭をとっていた各大学への連絡や、報道関係からの
問い合わせに応じるうち、父の経歴を繰り返し答えることになった。

 

通夜の当日、大学を通じて、死亡叙勲の連絡をいただいた。

生前、父には勲章の打診があったのだが、お祝いの席は面倒だし
タキシードを用意するのも大変だし、俺はそういうのはいらないと
言って辞退していた。
母と私は「もらっておけばよかったのに!」と言っていたが、
父は冗談めかして言っていた。
「死んだらもらえるかもしれないよ」
と。


最期まで立派すぎる父だった。
書斎には民俗学や社会学、日本人論、家族論などの資料や論文、
蔵書が大量に並んでいる。
昨夜は、膨大な量の日記を見つけた。なににつけても克明に観察
しており、思わず笑ってしまうような書きぶりの長文ばかりで、
読みふけるうち、ブログを書く気になった。

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