竹西寛子『蘭』におまけがついてきた

ここのところお堅い論客の本ばかり読んでいたので、すこし文学が欲しいと思い、古書店で竹西寛子『蘭』を求めた。
中学生の時、国語の試験の問題文に引用されており、試験中に深い感銘を受けた作品だ。25年ぶりの再読だけれど、やはり良かった。日本人らしい人間の心の機微の深さを、さらりと表現した名文が散りばめられており、心地がよい。また、戦時下の日本人の、抑圧のなかにいるからこそ折り目正しかった姿などが、情景描写のなかから美しく伝わってくる。恵まれた自分たちは、まったくだらしない生き方をしているな…と、省みるシーン多々。




本のなかに、栞がわりに使われていたらしい新聞コラムの切り抜きが挟み込まれていた。内容は、この本の紹介。なるほど、あの新聞ね。
元の持ち主の政治思想、几帳面な性格、毎朝の習慣など人物像を勝手に想像した。次の参院選も絶対きちっと投票に行く人だろうなあ、なんて。
古書ならではのオマケのおたのしみ、ご馳走様でした。


蘭 竹西寛子自選短編集 (集英社文庫)
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電車の中の混み入ったシーン。誰が一番道徳的だったのか。

電車の優先席。
モヒカンヘアーに、鋲の飛び出したライダース、全身にチェーンを
じゃらじゃらぶら下げたパンクロッカーが座っていました。
耳のヘッドフォンからは、チャカチャカと不快な音が漏れており、
パンクロッカーは、身体を揺らしてひとりで楽しんでいます。
そこへ、おばあさんが乗り込んできました。
おばあさんは、パンクロッカーの目の前で荷物を持って立っています。

「くっそう、なんで俺の目の前になんか立つんだよ!
せっかく楽しんでるのによお! ああ、腹が立つ!
さっさと座れ、このクソババアが!」

パンクロッカーは、凄い勢いで悪態をつきながらも、さっと立ち上がり、
おばあさんに座席を譲りました。
すると、席に座ったおばあさんが、チッと舌打ちをして、つぶやきました。

「チッ…このクソガキめ。あんなやつ生きててもなんの価値もないわ!」

この捨てゼリフを聞いて、おばあさんの右隣りでスマホをいじりながら
座っていたスーツ姿の男性が、立ち上がって、パンクロッカーのところへ
説教しにいきました。
「弱者に向かってあんな態度をとることはないだろう」と。

さて、あなたはこの様子を、おばあさんの左隣りの席に座ってずっと
目撃していました。
おばあさんは、あなたのほうを見て、
「ねえ? どう思う? あのクソガキのこと」
と、同意を求めてきました。

さあどうしましょう!!
さて、一番、道徳的な人は誰なのでしょう。

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笹幸恵さんとの新番組

きょうは、ジャーナリストの笹幸恵さんとの新番組を収録してきた。
毎回いろんなテーマを設定して、女ふたりで自由にしゃべくる番組。
今回は、男と女がテーマだったので、
常識のしっかりある笹さんに、自由すぎる私があれこれ相談するという形のおしゃべりになったんだけど、カメラマンの時浦さんが、やたら爆笑していたので、かなり面白くなったんだと思う。
有料番組ですが、初回は無料で公開されるのことです。
おたのしみにー♪
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サマセット・モーム『雨』のなかの、道徳と不道徳。

12月のゴー宣道場では、『道徳』をテーマに議論するので、
なにかにつけ、「こんな時、道徳的にどう?」と考えている日々…。

サマセット・モームの短編に、『雨』という超名作があります。
「道徳、不道徳ってなんだ」と強く印象に残った作品。

舞台は、サモアのある島に停泊する船。
イギリス人の宣教師と乗り合わせた、医師の白人男性の目線で語られます。
宣教師は潔癖なまでの禁欲主義者で、以前赴任していた教区では、サモアの現地人が、露出度の高い民族衣装を着てダンスするのを『道徳的堕落』と判断し、民族衣装もダンスも禁止し、罰金を科していたと言います。
また、宣教師の妻は、夫の権威を笠に着て、現地の人を侮蔑するような発言を医師の妻相手に吐きまくっていました。

「ゾッとするような風習」
「あの村にはちゃんとした娘なんてひとりもいない」
「何よりもまずあのダンスをやめさせることだと思った」
「白人同士なら別だけど、現地人のダンスは不道徳の根源」


そこへ、同じ船の乗客で、トムソンという自由奔放な娘が現れます。
トムソンは、好きなレコードをかけて、派手なファッションに身を包む娼婦でした。
船の中でも客をとり、ガンガン音楽をかけて享楽にふける毎日。
この娼婦の存在に業を煮やした宣教師は、彼女を「教化」しようと躍起になりますが、彼女のほうは、敵視し、嘲り笑うばかり。
しまいに宣教師は、トムソンを排除するべく、弱みにつけこんで、サンフランシスコへの強制送還の手続きをとってしまいます。

慌てたトムソンは、一変して宣教師にすり寄り、レコードもやめて、「神の話を聞きたい」と言うようになります。
宣教師は、その日から、夜ごと熱心にトムソンの部屋を訪れて、説話に励むようになりますが……

3日目の朝、浜辺にこの宣教師の遺体が打ち上げられました。
宣教師は、のどをかき切り、自殺したのでした。
娼婦トムソンと宣教師の攻防を知っていた医師は、トムソンの部屋へ掛け込みました。
トムソンは、再びうるさいレコードをかけながら、こう怒鳴ったのでした。

「男! 男がなんだ! 豚だ! 汚らわしい豚! 豚! 豚!」


トムソンと宣教師の間にあった具体的な出来事は語られないのですが、つまりは、禁欲主義を徹底し、他人に「道徳」を敷いてきた宣教師が、娼婦と部屋で二人きりになったとたん、誘惑に負けてただの男になり、情事にふけってしまい、さらにこれを悔いて自殺するという、宣教師の二大タブーを犯してしまうという話です。

これを読んだとき、男女の関係に関して「道徳」を持ち出してきびしく取り締まる人ほど、頭のなかは不道徳な妄想が渦巻いてしょうがないんだろうな・・・とまず思ったわたし。
そして、こんなに脆くて不埒な普通の人間でしかない夫の「権威」を笠に着て、他人を侮蔑していた夫人の存在が本当に醜く感じ、同時に、似たような現象は現在の社会でも、いや、自分自身にも、ありがちなことだと感じ、胸に手をやり、本当の道徳、不道徳について考えめぐらせたのでした。
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『中年の自分探し病患者』の蔓延について。

たまに会う信頼する友人と二人で、絶品の鳥の水炊きを食べてきた。
二・二六事件の青年将校たちが謀議に利用したとか、
頭山満が大感激して「水炊き日本一」という掛け軸を書いたとか、
逸話のある歴史の長い店で、看板には、頭山満の書いた字が掲げられている。
独特の濃厚な絶品白濁スープをひと口飲むと、
その味わいと、丁寧さ、温かさがじんわりと身体に沁みわたり、
少し黙ったあと、とても落ち着いた心境になって、じっくりと話をした。
主な話題は、『中年の自分探し病患者』の蔓延について。

 
◎中年になっても自分探しの旅から帰っていない人が多すぎる。
 
◎普通の人なのに、さも「アウトロー」や「博識」であるかのような
言動を心がけて接してくる。
 
自分探しの旅から帰れない人は、常識が育まれていないので、
「アウトロー」は、ただの「迷惑で意味不明でうざい人」にしかならず、
「博識」は、ただの「高慢で虚勢張り過ぎでうざい人」にしかならない。
 
◎客観性に欠けるため、特に下ネタにセンスがなく、うんざりするような
ただのオゲレツ話
にしかならない。

 
◎みずから積極的にタガをはずしたがる

◎かけたのは「
迷惑」なのに、「心配かけてごめんなさい」が常套句。

 
◎「タガをはずす」=「腹を割ってつきあう」ことだと勘違いしている。

◎「腹を割ったつきあい」に憧れを抱きすぎている。

◎普通そんなには他人に腹を割らない、ということがわからない。

 
◎誰も腹を割ってくれないので淋しくなる、というスパイラルにハマり、
自分憐憫モード」か「露悪モード」という自爆テロを引き起こし、
結果、相手の常識力のまえに木端微塵になる。


 
◎自分探しの旅から帰っていない人は、自分自身の姿をものすごく
見たがる習性がある。
 
◎異常な頻度でスマホ自撮り写真をSNSに載せる人は、要注意。
 
◎自分のSNSの投稿を読んでいるという相手と出会うと舞い上がる。
 
◎その相手からの承認や評価を通した「自分の姿」を作り上げ、
それをものすごく見たがる
あまり、相手に異常に執着しはじめる。

 
◎執着しはじめると、たいした用事でもないのに、メールやLINEの
返信を求め、思い通りにならないと呪いのオーラを発するようになる。
 
◎その呪いのオーラのうざさを指摘されると、激昂して狂ってしまい、
結果、相手の常識力のまえに木端微塵になる。


 
ううむ、やはり常識の醸成は心がけていないといけないねと頷きあった。
落ち着くほど美味しいものを食べると、会話がはずむなあ。
鳥の水炊き、おかわりを重ねて、結果、女二人で五人前食べた。
しめは雑炊で、デザートにシャーベットが出て、
店を出たあと喫茶店に移って、ケーキセットを食べたことは
ここだけの内緒にしておきたい。

バナナ食べて寝ようっと。
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きょうすれ違った人たち

代官山から渋谷、九段下と乗り換えて神楽坂へ来たところ。
各駅構内でここまでにすれ違ったのは、

アイアンマン2人、
キャプテンアメリカ1人、
妖怪人間ベラ1人、
ねずみ小僧2人、
猫娘1人、
砂かけばばあ1人、
TOTOのリトルベン1人、
ハリーポッター1人、
女連れののび太1人、
のび太連れの綾波レイ1人、
血まみれのミニスカポリス5人、
レイプされたような看護婦2人、
死に際のセーラームーン1人、
腐敗した女子高生4人、
複雑骨折の女子高生2人、
顔の半分が白骨化した氣志團4人、
腐ったシンデレラ1人、
きゃりーぱみゅぱみゅの怨霊1人、
カビの生えたおじさん1人、
全身骨折1人、
骨 3人。
あと、探す気になれないウォーリーがやたら団体で歩いている。
今年売れ筋のカンタン仮装セットなんだろう。
討ち死にした足軽とか、めちゃくちゃいっぱいいてもいいのになあ。

今夜はアイララの当番だ。
新宿二丁目のハロウィンは半端ない。
普段から夜更けにはドラァグクイーンが歩いている街だけど、
ゲイはなにせファッショナブルな人が多いから、
仮装がめちゃくちゃ上手かったり大胆だったり、
オリジナリティに溢れていたりする。
包帯ひとつでも巻き方がうまい。
今夜はどんなイリュージョンが起きることやら。
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「あ、いま、夢のなかにいる」

今朝は楽しかった。
6時頃にゴミ出しをして、寒さのあまり布団にもどってそのまま
二度寝したら、まどろみのなかで夢を見はじめ、そして、
その夢のなかで「いま、夢を見てる状態だ」と気がついたのだ。

私はお洒落をして部屋から出掛けようとしているんだけど、
玄関の靴箱をいくらあさっても右の靴しか見つからない。
ブーツもスリッポンもヒールパンプスも、出てくるのはすべて右。
困って、靴の右側だけ何足も抱えて裸足で玄関のドアを開けた。
と、そこはなぜか高層タワーの最上階の部屋になっており、
目の前に広がる大きな窓の向こうには、六本木ヒルズの森ビル、
東京タワー。しかもそれらを見降ろす高さにいる。

ここで「あ、いま、夢のなかにいる」と気がついた。
同時に「よっしゃラッキーーーーーーーッ!!!」

たいてい、夢だと気がつくと、急速に覚醒して目を開けてしまう。
せっかく安楽の夢の世界にいたのに、しーんとしたいつもの自分の
部屋の風景に引き戻された瞬間は、なんとも残念な気分になるものだ…。
この時も、窓の向こうの空に、巨大な黒いファスナーの線が見えた。
自分のまぶたの線だ。
これが上下に開くと、たちまち夢の世界は“夢”と消えてしまう。

ファスナーから意識を反らし、なるべくファンタジーを想像する。
想像したことはそのまま景色となって現れて、自由に遊ぶことが
できるのだ。

まず、抱えていた右だけの靴をぜんぶ猫に変えてみた。
黒猫、茶猫、白黒猫、赤猫。金色のラメの猫。
うまくいきそうだ。

それから、部屋のなかで試しにポンとジャンプしてみた。
軽々身体が浮き上がって天井に両手をぴったりつけていられる。
空を飛べると確信したので、窓を開けてベランダの柵をよじのぼった。
けっこう風が強くて寒い。
「やばい、やっぱり現実かも!?」
でもまあこんな高い所から落ちることも二度とないからいいやと思って、
東京タワーより高い空へダイブした。

気持ちええーーーーーーーー!!

一瞬まっさかさまに落ちたけど、うまく上昇して自由に飛ぶことができた。
でも、大都会の風景なんか見降ろしても汚らしくてたいして楽しくないし、
そしてここが私の想像力の愉快さなんだけど、そもそも強風のあまり、
さっきから着てる服がバッサバッサめくれ上がって、可憐なおっぱいが
丸出しになっている。
それで、実家の三重県の落ち着いた景色にスライドさせた。
近所の長いブロック塀の上やら、幼馴染みの家の屋根、港の灯台、
学校の屋上やらを落ち着いて飛び渡って遊んだ。

建物の窓が開いていれば、中に入ってみた。
生活感はそこかしこにあるし、ある家の台所には炊飯器の湯気が
充満しており、食卓に朝食の準備がなされていたりもするんだけど、
どこに行っても誰とも出会わない。
ふと、思った。


あっ、私、死んでるかも?


やっぱりさっきの高層タワーからのダイブ、現実だったのかも。

やっばー! ファスナーどこ? 空のファスナー!

上空へ、昇る、昇る、昇る!

ファスナーあった! 両手で掴んで上下にひっぱる! か、かたい!

おい、あたし、寝すぎなんだよっ! なにくそ、隙間に頭をつっこむ!

ぐおおお、めちゃくちゃ狭い! 狭すぎて息が詰まる! 死ぬーっ!

でもこの世界から出ないと! ぬおおおお、頭蓋骨がゆがむーっ!

な、なんか、でも、この強烈な狭さ、昔、どこかで体験した気がする…

これって、あたし、産まれ変わってるんじゃなあい?? ああああーっ!!




ごっふぁ!!

とても殿方には聞かせられない音声を立てて目を覚ますと、
私は、敷布団と枕の間に顔を挟んでもがいていたのでした。

やれやれ、驚いた。
楽しかったな。でもあたし、ホントに死んでたんじゃないか?

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まさか死んだ人のコンサートだったとは・・・。

「チケットがあるから」と、知人からコンサートに誘われた。
案内チラシを見せてもらうと、何人かフォーク歌手が出演するのだけど、どうも年齢層がかなり上のようで、歌手の名前を聞いてもピンと来ない。
30代の私では、フォークソング自体に馴染みがないのだ。
「でも知ってる歌がいっぱいあると思うよ。すごくいいから、とにかく行こう」
恐らく知人は、もうすこし上の世代の人を誘いたかったのだろうけど、都合が合わなかったなど事情があった様子。見るとチケット代金も高いし、席を空けたくないようだ。行くことにした。


会場は、団塊の世代、もしくはそれ以上と思われる年齢層で満員で、なんと私が最年少。女子トイレでは、介助つきの方も何人か並んでいた。
開演すると、歌ではなく、なぜか精神科医だという白髪のおしゃれな紳士が登場して、「加藤和彦」という歌手のことについて語り始めた。
会場は喜んで頷いたり、笑ったりしているんだけど、私は話の前後関係もわからないし、人物相関図も頭に浮かばないし、ちんぷんかんぷん。その後に登場する人も、フォークの歴史をおもしろおかしく語ったり、加藤和彦と自分との関わりを紹介したり、加藤和彦の作ったという歌を歌ったりしている。

ほー、今日のメインは加藤和彦っていう人なんだな。
しかし、話を聞いていると凄まじい大物なんだな。
これだけ語りまくって期待感を高めているんだから、よっぽどだ。
あっ、「あのー、すばーらしい、愛をもう一度ー♪」って、この曲知ってるよ!
中学校の音楽の教科書に載ってて、授業で合唱したもん! す、すごい!!
でも、こんなに前座の歌手たちが歌ってしまったら、本人の歌う歌が減っちゃうじゃないか。うーむ、老体にムチ打つわけにもいかず、勿体ぶって時間を稼いでいるのか。
ああ、はやく加藤和彦出てこないかなー!

・・・なんて感じで、じいーっとちんぷんかんぷんの話を聞きながら、
ご本人の登場を待っていたのだけど、ちっとも出てこないまま、第一部終了。
えええっ、これだけ語りまくって、そのメインが登場しないまま、休憩!?
す、すごすぎる。外タレのコンサートでもなかなかやらない演出だよ。
芝居『黒蜥蜴』だって、一幕から美輪明宏でてくるもん。
いいのか、こんなにもったいぶってて。団塊の世代って、気が長すぎる!!


と、思ってたら、第二部の語りを聞いていて、やっと意味がわかった。
びっくりだよ!! 加藤和彦という人は、とっくに亡くなっていたのだ!!!
そして、なんで精神科医がコンサートに出てるの? と不思議でたまらなかったお洒落な男性は、加藤和彦と一緒に「ザ・フォーク・クルセダーズ」として活動していた北山修さんという人だった!!
そういうことだったのかー!!
これはつまり、加藤和彦を偲び、フォークの時代を懐かしむコンサートだったのね。
誰も教えてくれないから、あたしひとりで加藤和彦が出てくるの心待ちにしちゃったよ!!


そして、後半の終わりごろに、さらにびっくりたまげることがおきた。
小室等さんという白髪の大物フォークシンガーが、ギターをつまびきながら
『イムジン河』という曲を歌いはじめたんだけど・・・
はじめて聞いたその歌の歌詞にびっくり!

北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を二つにわけてしまったの


朝鮮半島分断がテーマになっており、北朝鮮側の人間の気持ちになって、南側の故郷を思う気持ちを、日本語で歌っているというものなんだけど・・・
ひえー、戦後ってこんな反戦歌まであったのかあああ!
なんか、すんごい世界だなあ・・・・

と思って聞いていたら、
わたしの右の人も、左の人も、前も後も、そこに集まっていた聴衆全員が一緒になってこの曲を大声で歌いはじめるもんだから、もうめっちゃらくっちゃらにびっくらこきまろ!!

こ、こんなに歌いまくるほど、この曲、流行したのおお!?

ふ、ふうううう・・・。
ジェネレーションギャップって、自分より若い世代を見て感じるもののように思いがちだけど、自分がまだ生まれていない時代に対しても感じるんだよね。団塊の世代と自分とのギャップにぎょっとするほど衝撃を受けた昨日でありました。
びっくりびっくり。
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Jackson do Pandeiro × Beatfanatic

ビートファナティックっていい仕事するよね、ブラジルのコンピに入っていたジャクソン・ド・パンデイロのリミックスにはまりっぱなし。

Jackson do Pandeiro "Eu Balanço"(Beatfanatic Rework)


そして、ジャクソン・ド・パンデイロは、映像見れば見るほどすごく『笑点』に向いてるように思えてくる。このリズム芸人感たまらないよ、しかもめちゃくちゃうまいし。
ちっちゃいおっちゃんとして部屋にいてほしい。「おっちゃん、もう寝るからタンバリンやめて」って言ったらすごく寂しそうな顔しそう…。


Jackson do Pandeiro - Chiclete com Banana
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映画『それでも僕は帰る〜シリア 若者たちが求め続けたふるさと〜』

映画『それでも僕は帰る〜シリア 若者たちが求め続けたふるさと〜』を観てきた。
凄い作品だなあ。
シリアの若者たちによる民主化運動、はじまりは歌とシュプレヒコールによる平和的デモだったものが、アサド政権からの容赦のない虐殺によって、武装化してゆき、混迷を極めていく様子を、着弾点のど真ん中でカメラが密着しつづける。

前半、反体制派を批判する歌を歌っていた若者たちは、
あっという間に大量の銃を手にしておのおの入念に磨きはじめるようになる。
戦闘状態に入ると、親友たちはどんどん死んでゆき、精神的に追い詰められ、極限状態になってゆく。

その一連の流れと、若者たちの変貌ぶりは、まるで最初からシナリオがあったかのような、いつか読んだ原作をもとにした青春物語であるかのように感じるほどだった。

これ見ると、やっぱりSEALDsのやってることなんか、ちゃんちゃらおかしいと思ってしまう。
「戦う、さもなくば死」の中東の若者の覚悟と、結局はアメリカの軍事力に守られた日本の制度のなかでぬくぬくしている若者の支離滅裂な反抗心と。SEALDs、この映画観たほうがいいんじゃないかな……。

また、追っているカメラマンには冷酷なほどタフな一面があって、目の前で若者や子供が血まみれで死んでゆき、のべつまくなしバンバン砲弾の飛び交っているのが普通、という尋常ならざる過酷な状況下にあっても、チャンスさえあれば、綺麗な絵作りをして撮ってみせるから、凄いと思った。
ポスターに使われているシーンは、戦闘が激化した廃墟の廊下にしゃがみこむ反体制派リーダーの若者が、親友たちの死と不利な戦況に精神的に参っていくところなんだけども、そこへ光が差し込み、埃の舞い上がる情景……思わず、

「美しい憂鬱だなあ……」

なんて見入ってしまう。ドキュメンタリーだということを忘れさせる映画らしさ。
シーンのほうから「いま撮って…」って近付いてきちゃったんだな、きっと。

そもそも、この映像をよく無事に持ち出せたなあとも思うし。

で、帰宅してから知ったけど、ノーベル平和賞に、チュニジア民主化貢献団体が選ばれたあ!?
はあああ??? シリア、この状況だっていうのに?
チュニジアは、たまたま、うまく民主化されやすい環境が揃っていただけのことで、結局「アラブの春」に燃えていた他の国はすべて民主化大失敗、ますます強権的な支配に逆戻りしたり、内戦が悪化してひたすら人が死ぬ毎日を迎えてしまっている。
ノーベル平和賞って、
わけがわからないな。
核兵器廃絶を語っただけで、オバマ大統領に贈られたこともあったんだっけ。
ただの偽善じゃないか。

 
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