<< イマドキの不動産仲介屋 | main | 膨大過ぎる日記と書斎の本 >>

立派な父でした

一昨日の夜はびゅうびゅうと音を立てて暴風が吹き荒れ、
昨夜は一時的に大雪が降り、車の屋根がまるで粉砂糖をふった
パウンドケーキのようになっていたが、今朝の朝日に照らされて
とけてしまった。

 

25日のクリスマスの朝、かなり慌てた様子の母から、
父が倒れて危篤だと電話があり、すぐさま家を出たのだけれど、
最寄り駅から地下鉄に乗り、2駅目の乗り換えホームに着いた
ところで2回目の電話があり、亡くなったと聞かされた。
驚きすぎて「えっ、早い」としか言えなかった。
対面したのは葬儀場の安置室だった。

 

4日前に冬休み前の最終講義があり、大学の職員の方とは
「先生、来年もよろしくお願いします」「はい、よろしく」
なんて会話をしていたそうだ。
倒れる前日まで普通に自宅で元気に生活して、母の料理と、
大好きなお酒を楽しんでいた。

 

倒れて救急隊の方がやってきたとき、持病はあるかと質問され、
母が「糖尿病、痛風、リウマチ」と把握していた病名を告げると、
父が「まだあります。肝硬変と、それが原因の食道静脈瘤で吐血
しました」と付け加えたので、母は仰天したらしい。
父は、死ぬほどの病気を持っていたことを母にすっかり隠して、
死ぬまで普通に講義をして普通に生活していたのだ。

 

もちろん肝硬変は、生涯絶対断酒になる病気であるから、
それを告げたらもう好きなお酒を飲ませてもらえなくなるという
のもあったのだと思う。
生前の口癖は、
「食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、吸いたいもの
を吸って死ねたらそれでいいじゃないか」
だった。
父は外食はしないので、食べたいものというのは、母の料理だ。

 

リビングの父の定位置には、父のたばこがおいてあった。
父は自己管理するために、たばこに付箋と鉛筆を添えて、吸った
時刻をすべて記録していたのだが、最後の一本は、倒れる直前の
時刻になっていた。

 

父がいなくなった部屋の隅には、口を固く縛ったゴミ袋が置かれて
いた。
持ち上げるとずっしりと重い。中をのぞくと、それは、大量の血を
吸ったバスタオルや衣類だった。
父は自室で大量に吐血したあと、これから死ぬというときに、
それを母に見せたり掃除させたりしないように、
なんと自分で拭き掃除して、着替え、汚れたものを一つにまとめて
いたのだ。
父の使っていたトイレをのぞくと、やはり掃除した形跡があった。

 

父は家族にまったく迷惑をかけなかった。
元気に暮らして、そして最期は自分で始末して、きちんと原因を
説明して、たちまちのうちに逝ってしまった。

 

あまりに突然のことで、呆然としたままだったが、
最後まで教鞭をとっていた各大学への連絡や、報道関係からの
問い合わせに応じるうち、父の経歴を繰り返し答えることになった。

 

通夜の当日、大学を通じて、死亡叙勲の連絡をいただいた。

生前、父には勲章の打診があったのだが、お祝いの席は面倒だし
タキシードを用意するのも大変だし、俺はそういうのはいらないと
言って辞退していた。
母と私は「もらっておけばよかったのに!」と言っていたが、
父は冗談めかして言っていた。
「死んだらもらえるかもしれないよ」
と。


最期まで立派すぎる父だった。
書斎には民俗学や社会学、日本人論、家族論などの資料や論文、
蔵書が大量に並んでいる。
昨夜は、膨大な量の日記を見つけた。なににつけても克明に観察
しており、思わず笑ってしまうような書きぶりの長文ばかりで、
読みふけるうち、ブログを書く気になった。

日誌 | - | -