<< ずっとファンキーな人たち | main | 「僕は『戦争論』を誤読したネトウヨだった」配信 >>

美術室での思い出

原稿の参考資料を探すためにネットで美術展の検索をしていたら、ある地方の美術館のホームページにものすごくよく知ってる絵の紹介が出ていて、驚いてその先の用事を忘れてしまった。

 

いまから25年前、高校生のとき、私は学校の美術の先生の絵のモデルをやっていて、放課後になると美術室の横に併設されている先生のアトリエに行って、そこで1時間ほど、当時出展予定だった大きな油彩につきあっていた。
その頃の絵が、2018年になってまた個展に出されるらしく、ポスターになって紹介されていたのだ。
しかも70代後半になった現在も、精力的に新作を描いておられるということもわかった。

 

もちろんヌードでもなんでもない、普通の写生モデルだけど、あれって、いま同じことをやったら、ものすごい大問題に発展しそうな要素があったかもしれない。
放課後、50代の男性美術教師のアトリエに、16歳の女子高生が一人で行って、ずっと二人きりでいて、じろじろ見られているわけだから。

 

授業では聞かないような、ずいぶん難しい話をたくさんしていた。
いつもちんぷんかんぷんな哲学書の話ばかりするので、自分も読んでみることになり、完全なるちんぷんかんぷんのまま
「ハイデッガーの『存在と時間』を読みました」
と言ったら、
「ナチスと融和していったことについて、きみはどう考えるのだね?」
と詰問されて、なにも答えられないでいたら、そこから延々とハイデッガー批判を聞かされて、こちらはモデルだから止まってなきゃいけないし、なにしろ高校生だし、だんだんと目を開けたまま眠る、みたいな境地を切り拓いていったことがあったような気がする。

 

絵具を開けるときに指先を切ってしまった先生が、ぷうっと皮膚の上に盛り上がっていく血液を見て、
「美しい赤だ……」

と、狂気じみたセリフを吐きながら、その血をキャンバスにのせる様子を、横でずっと見ていたりもした。その絵は、相当な傑作になって、後年、東京都現代美術館での展示会に出展されていた。
だから、「芸術家ってヤバいものなんだ」と、もうこの頃から理解していたんだと思う。

 

一般的には、女子高生への教育としては、危ない話だよね。
私にとっては、いい思い出にしかなってないんだけど。

 

高校卒業直前に、さっと描いてもらった横顔は、いまでもちゃんと額装して私の部屋にあります。

 

日誌 | - | -