<< 金メダルおめでとう | main | いい加減、籠池夫妻を釈放しろ >>

取材と打ち合わせと世間と金子光晴

実の弟から「小平さん、金メダルおめでとうございます」とメールが

くる始末。

 

今日は午前中に原稿片付けて、午後からずっと渋谷にいて、

各社編集の方々と順番に会って、取材、打ち合わせ、打ち合わせ、

取材、打ち合わせって感じでコーヒーと紅茶でお腹がじゃぶじゃぶ

になって帰宅。

 

今年は秋まで4冊の本を並行して作ることになっていて、

いよいよ3月から全速力。

ゴー宣道場も6月まで連続開催だ。

 

難航していた書籍のほうは、いったん書き進めるのをストップして

来週、編集部に半日詰めて台割を完全に作ることに。

難産の本だけど、面白い仕事なので苦痛はない。

あとは売れたらすごくうれしいけどなぁ。

 

今週のライジングは、「世間との戦い」というタイトルで、

社交と世間について、自分の体験を交えながら書いた。

特に打ち合わせしたわけではないのだけど、小林よしのり先生の

『ゴーマニズム宣言』も、「社交の罠、言論は武器である」という

テーマ。

合わせて読むと、考えの深まる号になっているのではないかと思う。

 

 

http://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1436386

 

神との契約が存在する欧米では、「個人(individual)」という

譲り渡すことのできない尊厳を持つ概念があり、

その個人が集まって「社会(society)」が作り上げられている。

しかし、日本には「社会」の前に「世間」がある。

「世間」は、欧米の「society」と訳すことはできない。

世間というところでは、個人の尊厳が認められないことがあり、

欧米の「社会」という概念とはまったくの別物だからだ。

 

大昔から変わらない日本人の性質であり、病根でもある「世間」。

有名なのは、大名著・阿部謹也「『世間』とは何か」だけど、

この本そのものも、学会という「世間」に埋もれないために、

出版社を選んだという逸話があとがきに書かれている。

 

「世間」とは何か(阿部謹也)

 

この本、これまでに5往復ほど読んでいるけど、

日本って本当に、街並みだけが近代化しただけで、精神的には

まったく近代じゃないんだな…と思えてくる。

 

万葉集、徒然草、真宗、井原西鶴、夏目漱石、永井荷風などの

文学を通して、日本人が「世間」をどのように見てきたのかが

かなり丁寧に考察されている本なんだけど、このなかで、

金子光晴の作品から見る世間・文明批判の考察に興味を持って、

何冊も詩集を買うことになったの。

 

はまのくんが、歯抜けの全集を持ってきてくれたりしたのも、

はじまりは阿部謹也のこの本だったんだよね。

 

 

 

 

日誌 | - | -